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人生初の清々しい夏が来た


卵を手に取る時、選びますか?

選ぶ基準はありますか?

私は、無頓着に取っています。笑

無頓着だけど、そこには直感的なものが働くことがあると思うのです。

カードを引く時も、同じように思います。

「なんの気無しに」という状態が、直感を受け取るチャンスなんだろうと思っています。

先日、調べ事をしていたら、AIと意図せず議論に発展してしまいました。

「あなたの考えを聞かせてください」と繰り返すので、つい乗ってしまったんです。

議論などしたことがない私は、やめておけばよかった、トラウマになりそうだと後悔しつつもやめられず、最後には、降参しましたぁと、自分を認めることができました。

私は多角的な捉え方をしていないと指摘されたのです。

認めるまで数十分かかりましたが、今はスッキリしています。

結果的に、執着していることに気づき、自分自身を自由にしてあげようという考えに至りました。

あの時、めげずに議論について行ってよかったです。

勝利する喜びもいいけれど、負けを認めた時の開放感がたまらなく好きです。

だって、清々しいから!

暑い日が続いています。

エアコンのない別室は暑くて蒸し蒸し。

でも、気分は、清々しいのです。

私は夏に弱いいきもので、毎年、そろそろ夏が来ると思うだけで恐怖心すらあります。

「暑いですね〜」と、いろんな人から言われますが、私の口からそれが出ていません。

一年前の私には想像できなかった変化です。

現在の生活スタイルが体へのストレスを軽減してくれているのは事実です。

しかし、それだけでは理由になりません。

変えられない環境に文句ばかり言っていた私が、こんなふうに夏を過ごせるようになったことは、ただ事ではありません!

これには何か裏があります。

もちろん、体は暑さに弱いのだから気を遣います。

たまに冬が恋しいと思うこともありますが、夏を過ごしやすくするための工夫などしていません。

この変化の奥には、やはり自分の全てを受け入れたことがあります。

そうすると楽になるんだという証を見ているようなものですね。



「その都度、いつでも、気づいた時に受け入れたらいいと思った」

「知らない間に、静かに変わっているんだと思った」

「無理強いしない本当の変化はグラデーションのように、徐々に、滑らかに・・・」

















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