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小皿に願いを

先月、長野に旅行に出かけた。
前日の台風の余波がまだ残っていて、トンネルを抜けるとそこはアスファルトを叩きつける雨が白い放射線のように降り注ぐ世界だった。
ワイパーはきゅうきゅうと音を上げてフロントガラスの水滴を振り払うが、それも次の瞬間に水面と化す。
緊張から目が前方から離せない。
そういえば家を出てから休憩なく走り続けている。だんだん身体の欲求には逆らえなくなってきた。
そしてこの雨の中を走り続ける道中から少し解放されたくなったのも手伝い、SAへ向かう。


寒い。
ドアを開けると風で思いきり引っ張られる。
隣に車がなくてよかった。
風は冷たく強く吹きつけ、上着を持ってこなかった自分の不用意さに思わず嘆きの声をあげてしまった。
重い雲は薄いグレーでわたしはこの色が好きだが、この風さえ収まればいいのに。
そして寒ささえ無ければいいのに。
そんなふうに思いながらも見えない景色を撮る。
友達はさっさと準備万端、上着を羽織りわたしを気の毒そうに見やる。
ちょっと得意そうに笑っている。
自分だけ持ってきてるし。
なんだよ。


わたしたちが向かったのは長野県阿智村。
星がそのまま手の中に落ちてくるような光景を観られると聞いてやってきたのだ。
旅館で夕食を取り、約束の20時過ぎにロビーで待っているわたしたちを迎えにバンがガタガタとやってきた。
星空を寝転んで見られるようにと旅館側が用意していた大きな丸めたマットを抱え乗り込むと、いくつかの旅館をまわってきたのか、10数人ほどが座っていた。ほぼ満員なんじゃないか。わたしたちが最後だった。
空いている席に座るとすぐに目指す場所へと動き出した。
走り出したバンはすぐに山道へと右へカーブを切る。そのまま進んでいき街の明かりも何もない漆黒の山の中へ入っていく。
ツアーガイドの方は運転手の人との絶妙な掛け合いで場を盛り上げている。
台風の影響もあり、どうかと思ったが皆さん運がお強い。
薄く雲がかかっているものの、満点の星空を見られる確率が高いと判断したのでこうしてご案内できることになったんですと笑う。


しかし、最初に到着したのは星を見るためではなく、開運スポットとして有名な暮白(くれしろ)の滝だった。
バンから皆がゾロゾロと降りる。
あたりまえだが山の中だ。まったくの真の暗闇で足元さえおぼつかない。広げた掌も見えない。
少し離れてしまうと一緒に降りたはずの人の姿が全く見えない。
黒黒黒。左右ぐるっと見渡してこれだけの黒に囲まれることがこれまでにあっただろうか。
人々の話し声はするが、ほとんど見えない。
ガイドの方がサーチライトのような強力な明かりを持ち先導し、足元を照らしてくれてその光を頼りに歩くしかない。
足場も決して悪くはないがやはり山道だ。
時々つまづく。暗くて前も下も黒くて見分けがつかない。
スニーカーを履いてきてよかったと思った。


暮白の滝とは夕暮れになるとほの白く浮かび上がることから『くれしろ』
そう名づけられたそう。
滝見台といういわば滝を見るための東屋のような場所から願いを書いた小さな素焼きの皿(1枚100円)を滝に向かって投げると叶うという。
そして投げた皿が右に曲がるか左に曲がるか、などによってどんな運に恵まれるのかもわかるらしい。


真っ暗な山を周囲に囲まれ、薄白く細い縦線が筆で描かれているような滝に向かって無言で小皿を投げる。
落差は15メートル。
ただ真っ暗だ。
ガイドの照らすサーチライトの先にある滝を確認して一人一人投げていく。
真剣に投げておお〜と声を上げる人。
怒ったように落とすように投げる女性の皿は本当に飛ばずに真下に落下していくのがわかった。たぶんこんなことやりたくないと思っていたのかもしれない。
ガイドもなんといっていいのかわからないようだったが、いろいろ言い繕ってるのがおかしかった。


友人はまあまあの距離を飛ばしたが、滝とは反対に大きく曲がり、人望上昇。
最後になったわたしが投げた小皿はやはり左に小さく曲がって闇の底に消えていった。
諸事先手必勝とのこと。
なんとなく納得。


たぶんその時、誰も頭に星空のことなどちらともなかったと思う。
ガイドは記念写真を撮りますのでこちらに順々に来てくださいねと声を張る。
たいてい2人で来ているのでポーズを取らされている。上を向いて、もっと手を上げてとかカメラマンもなかなか注文がうるさい。
わたし達はまた一番最後に立ち位置を決めポーズを取る。
大きく手を広げるか、だっちゅーのみたいにするか、もうそんなのいつの話よとなりやめる。
まあ普通にピースかなあ。天を指差してみるかと両方撮っていただいた。



ガイドが空を見上げてのんびり言う。
ああ、曇ってきて見えないなあ。
すると周辺でしゃべっていたツアー客が一斉に顔を上げるのがわかった。
小さくぽつんと光は見えるがそのほかは薄墨色が広がるだけだ。
運転手とガイドがダメだなあ、と残念そうに言い合っている。
皆はそれを聞いて仕方ないと思うのか、これは天候次第だからね、またお越しくださいねと話すガイドの声に従うしかない。


立っている場所は整備されているとはいえ、野犬や熊、猪が今にも出るのではないかと思う山の中だ。
またガイドが話しだす。
皆さん、もう道が見極められるはずですよ、さっきとは全然違うはずですから。
どうですか。
そう聞いて、おや、確かにそうだと驚く。
少し前までは鼻をつままれてもわからない、という言葉の意味がわかるほど、どこもかしこも真っ黒の闇だった。
メガネをかけているとはいえ、かなり視力の悪いわたしでさえ周囲の様子がよくわかり、足元もはっきり見える。
驚いた、魔法のようだ。


足場悪いところがあるので一応ライトつけますけど、不思議とそうすると周りが見えなくなるんで気をつけてくださいね。
光があると逆に見えなくなるんですよ。
星空は見えなくて残念だった。
見えたらさぞよかっただろうが、それが目的だったはずなのだから。
ただ不思議とそのガイドの方の話がいつまでも頭に残ったのだ。


光があると見えなくなる。
闇の中だからこそ見えるものがある。
今回はそれを知るための旅だったのかなと思う。
真理。
大袈裟にいうとそれだ。
光があるところに影は生まれ、影があるところに光は生まれる。
どちらか片方だけ存在していることはあり得ない。
なぜかひとり悟りを開いた心地になり、これを大事にしていこうと自分に言い聞かせていた。


旅に呼ばれる。
その地に呼ばれる。
小皿に書いた願いも叶うのかもしれない。



トップ画面、ぼやぼやしておりますが滝見台です。
ここから向こうの滝めがけてうりゃ!と小皿を投げるのですがなかなか上手にそちらの方にいかないものです。

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