Yuji Orita 織田祐二

ライター(本名/カーツさとう門下)。北海道出身。中野在住31年。主にグラドル&芸能ゴシ…

Yuji Orita 織田祐二

ライター(本名/カーツさとう門下)。北海道出身。中野在住31年。主にグラドル&芸能ゴシップ関連。大の酒好き。一杯で喜びます。 *記事は他ニュースサイトへの転載も https://twitter.com/ohlly6915?t=unAlakSzZlhrq6OEdzi9Pg&s=09

マガジン

  • 1985年8月12日・日航123便墜落事故(事件)

    あの世紀の大惨事における疑惑、疑問点について書いていく所存。当時、自分は高1(苫小牧高専電気工学科1年)でした。

  • 未解決事件シリーズ

    そのままです。

  • 飯塚事件に関して

    風化させてはならない。

  • 松本人志氏文春騒動関連

    そのままです。

  • 『週刊文春』発で話題の不審死事件(木■事件の原点)について

    事件は解決されなければならない。逃げ得は許されない。

最近の記事

日航123便墜落事故(事件)・第77回〜昨年から話題になっている、事故当時の日本航空や防衛庁関係者らによる告発文。あらためて、順に検証してみるとして

織田祐二 昨年の5月ぐらいから一部で話題になっている、例の、当時の元関係者らによる告発文。今回はそれについて語り合いたい 相方(編集・ライター) 事故当時、日本航空や防衛庁で働いていた者らによる“ひとつの匿名アカウント”による衝撃的暴露の数々。いや、衝撃かどうかは、それらが真実であればの話ですがね 織田 あまりに内容が多岐にわたって入り組んでるので、ちょっとずつ考えてみたい 相方 仮想敵訓練云々については、陰謀論派の間では散々言われてきましたよね。あの事故の根本的キッカケは

    • 日航123便墜落事故(事件)・第76回〜“政界のプリンス”加藤紘一氏は、なぜ、39年前のあの時、防衛庁長官を留任続投した(させられた)のか?

      昭和時代、内閣における防衛庁長官というポストは、半年とか1年ぐらいで交代するのが常だった。内閣改造や首班指名選挙後に人が替わるのは、ごくごくフツーの流れだったと言っていい。 思うに、いや、誰でもわかることだが、それほど重要な役職ではなかったのだろう。省ならぬ庁であり、大臣ならぬ長官。大蔵大臣や外務大臣とは格が違う。未来有望な若手政治家が最初期の手始めに務める(務めさせられる)定番のポストだった。 そんな防衛庁長官という役職を、政界のプリンスにして自民党左派の要だった加藤紘

      • 日航123便墜落事故(事件)・第75回〜冷戦のあの時代を思い起こしての夜中の戯言

        昭和50年代から昭和60年代にかけて。北海道苫小牧市の国道36号線では、陸上自衛隊の車両、車列がしょっちゅう行き来していた。むろん、目的があってのことだろう。 地元の社会党や共産党関連の人は目を光らせていたのかもしれない。なにをやってるのやらと。自衛隊が演習やる際は、道庁に報告義務があったと思われる。が、自分は、そんな義務の遂行など信じちゃいない。なぜなら、冷戦時代だったから。 社会党や共産党に知られたら、ソ連に通知が行く。信憑性はわからないが、そんな話、噂はあった。それ

        • 日航123便墜落事故(事件)・第74回〜事故調査報告書の経路とは異なり、静岡県の大井川より西を飛んでいたらしい123便。必然、そこから考えが及ぶこととは?

          あの日、123便を静岡県の大井川より西の地域で目撃した人がいた。詳しくは、下のYouTubeを観ていただきたい。 本稿サムネ画像の青線が大井川。となると、コメントでやりとりさせていただいた某氏の言うように、 ということになりそうだ。 そうして、そうなると、頭に浮かぶことが一つ。焼津市(1985年当時は合併前で大井川町)にある航空自衛隊の「静浜基地」だ。 動画主が言うように、焼津市方面から飛んできて、大井川を越え、山を越えてきたというのであれば、その過程で機は確実に静浜

        日航123便墜落事故(事件)・第77回〜昨年から話題になっている、事故当時の日本航空や防衛庁関係者らによる告発文。あらためて、順に検証してみるとして

        • 日航123便墜落事故(事件)・第76回〜“政界のプリンス”加藤紘一氏は、なぜ、39年前のあの時、防衛庁長官を留任続投した(させられた)のか?

        • 日航123便墜落事故(事件)・第75回〜冷戦のあの時代を思い起こしての夜中の戯言

        • 日航123便墜落事故(事件)・第74回〜事故調査報告書の経路とは異なり、静岡県の大井川より西を飛んでいたらしい123便。必然、そこから考えが及ぶこととは?

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        • 1985年8月12日・日航123便墜落事故(事件)
          64本
        • 未解決事件シリーズ
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        • 飯塚事件に関して
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        • 松本人志氏文春騒動関連
          12本
        • 『週刊文春』発で話題の不審死事件(木■事件の原点)について
          9本
        • 人気グラドル・大川成美インタビュー(ソフトボール国体編)
          3本

        記事

          日航123便墜落事故(事件)・第73回〜『ワタナベケンタロウ動画』最新回を視聴して思ったこと。なんでもお見通しの強国・アメリカが日本の言いなりになることは……?

          『ワタナベケンタロウ動画』第160回を視聴(必見)。 ますますもって、その内容、検証は混沌としていってる印象。あらためて言っておくと、我が理解力の足りなさを踏まえてのものであるのは確か。 今回の動画は(も?)、いくつかのパートに分かれるが、筆者が特に気になったのが、9分53秒あたりから始まる、『日本航空史【昭和戦後編】』(1992年刊)なる著書の内容だ。123便墜落事故およびそれに関する膨大な調査、解析等を経て、事故調査結果に基づき、日本がアメリカの旅客機の耐空性基準に対

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          高身長グラドルやデカ女ブームの象徴的面々? 依然俄然、好調で勢いにのる身長173センチのグラドルたち

          織田祐二 こんなポストを見つけましたが、身長173センチって呪われてるんだ(笑) ライター・ニイゼキユウジ(元祖『グラドル番付』審議委員、ex『メンズサイゾー』など) いや、たまたまでしょう(苦笑) 織田 少なくとも昨今のグラドル・シーンにおける“身長173センチ”はキラキラまぶしいぐらいに活況を呈してるといえる ニイゼキ 相沢菜々子さんに斎藤恭代(さいとうやすよ)さんに爽香(さやか)さんに…… 織田 相沢さんは先頃、写真集がオリコンランキングでベスト10入りを果たすとい

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          謝罪のプロが説くフワちゃん騒動。はたして、フワちゃんの謝罪は、「自分のためのお詫び」だったのか?

          『女性自身』のネットニュースに載った記事。 フワちゃんの一連の謝罪は結果的に「自分のためのお詫びになっている」とのこと。 そうなのか? 解説するのは、「謝罪のプロ」こと危機管理コミュニケーション専門家の増沢隆太氏。彼はこう話す。 「まず前提として、お詫びをすれば“何とかなる”というより、実際はお詫びしたら“何とかなる場合がある”ぐらいのものです。 さらに今回の場合はフワちゃんの元々の立ち位置というか好感度の問題もあって、スタートから不利でした。フワちゃんはある種の“ヒ

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          日航123便墜落事故(事件)・第72回〜問題となった機の最後部を担当した客室乗務員、対馬祐三子さんと大野美紀子さん。非番で乗り合わせた落合由美さん含め、彼女らについて考えたこと

          123便墜落事故考証YouTuberの第一人者のワタナベケンタロウ氏は、Xでこう書いている。 相模湾上空でのインシデント後、機内最後部のR5ドアに異変が起きたのは、18時31分台とされる。 R5ドア担当の客室乗務員はスチュワーデス(役職名)の大野美紀子さん(26)。だが、おそらく、率先してドア付近の状況状態を調べ、コクピットに伝えたのは、L5ドア担当のアシスタントパーサー(スチュワーデスの上の役職)の対馬祐三子さん(29)と思われる。 機内の客室乗務員の配置を見ると、左

          日航123便墜落事故(事件)・第72回〜問題となった機の最後部を担当した客室乗務員、対馬祐三子さんと大野美紀子さん。非番で乗り合わせた落合由美さん含め、彼女らについて考えたこと

          フワちゃんはなぜやす子さんを殺さなかったのか。そして、やす子さんはなぜフワちゃんを殺さなかったのか

          フワちゃんの謝罪と活動休止宣言で収束に向かいつつある今回の一件。 ネットのコメントを見ると、依然、フワちゃんへのバッシングが凄まじい模様だが、当の本人のやす子さんが許したんだから、もういいだろうと思われる。「やす子さんは本心では許してないはず」みたいな気持ち悪い論調はもうたくさん。やす子さんの決断と発言に失礼だろう。 ただ、一方で、自分の中では、今回の一件のコトの重大さがいまいちよくわからないのも本音。以下の三浦マイルドさんと武井志門さんのラジオ内のやりとりにもあるが、仮

          フワちゃんはなぜやす子さんを殺さなかったのか。そして、やす子さんはなぜフワちゃんを殺さなかったのか

          日航123便墜落事故(事件)・第71回〜2002年の藤田日出男氏と1986年の藤田日出男氏

          日本航空のパイロットにして、123便墜落事故の真相について、最後まで尽力した藤田日出男氏(2008年逝去)。 ■藤田氏の著書はコチラから その藤田氏。2002年に出演した123便関連の番組より。 事故の翌年、1986年4月に開かれた「事故調査委員会聴聞会」に出席した際の映像はコチラ。

          日航123便墜落事故(事件)・第71回〜2002年の藤田日出男氏と1986年の藤田日出男氏

          日航123便墜落事故(事件)・第70回〜1986年4月25日に開かれた事故調査委員会聴聞会で、日航・平沢専務が述べたことの真意とは?

          1986年4月25日におこなわれた「事故調査委員会聴聞会」において、日本航空の平沢専務は以下のように述べている。 はたして、これはなにを意味するのか。その真意はなんなのか。 ひとつ踏まえておかなければならないのは、この会には、「日本航空」のほか、「圧力隔壁破壊が墜落事故に至る端緒」説に疑問を持つ日航関係者のグループ「日航乗員組合」の面々が参加していること。そうして、平沢専務は当然のごとく「日本航空」側の立場で答弁しているということ。この時点で両者の見解は100%真逆だった

          日航123便墜落事故(事件)・第70回〜1986年4月25日に開かれた事故調査委員会聴聞会で、日航・平沢専務が述べたことの真意とは?

          日航123便墜落事故(事件)・第69回〜青山透子氏の最新ブログから考えたこと、腑に落ちたこと

          以下、青山透子氏の最新ブログより。 ワタナベケンタロウ氏の最近の動画への批判が中心の内容。法的措置に関する文言も見受けられ、ちょっと(いや、かなり)心配ではあるが、百戦錬磨のワタナベ氏なら彼らしく臨機応変に対応することだろう。 ただ……。正直、自分も、青山氏ほどではないにせよ、最近のワタナベ氏の動画の内容には少なからず「?」な思いを持ち続けてきたのは事実。結論に向けての方向性やプロセスに対しての危惧というか、ある種、わかりづらさを感じていた。自分の飲み込みの悪さを十分に自

          日航123便墜落事故(事件)・第69回〜青山透子氏の最新ブログから考えたこと、腑に落ちたこと

          123便墜落事故と同じくらい不思議な、昭和終盤を象徴する未解決事件「グリコ・森永事件」。あの事件で一番解せないことを挙げてみる

          ライター・織田祐二 グリコ森永事件の終結宣言が出たのが1985年8月12日。そうして、その日の夕方に123便墜落事故が起きる 相方・ヤスダ 激動過ぎますよね 織田 ねえ。あらためて考えると、いや、考えれば考えるほど、この2つの事件はどこかでつながってる気がしてくる ヤスダ グリコ・森永事件の流れで脅迫を受けていたハウス食品の社長が123便に乗り、事故に巻き込まれました 織田 なぜ、彼が機に乗ったのか、不思議すぎる話 ヤスダ まあ、元々乗ることは決まっていたんでしょうが 織田

          123便墜落事故と同じくらい不思議な、昭和終盤を象徴する未解決事件「グリコ・森永事件」。あの事件で一番解せないことを挙げてみる

          実話怪談YouTubeが直面した最大の問題? そして、限界? 依然、盛況続くそのジャンル、シーンだが、ここにきてチラホラ不穏な実情が??

          ライター・織田祐二 今回はコラボ問題について話したいんだけど ライター・三橋りの(『週刊大衆』など)   いまさらですか。暇空茜氏が係争した若年女性支援団体の…… 織田   いや、そのColaBoじゃあなくて、実話怪談YouTubeにおけるコラボの問題について 三橋   なんか、春ぐらいから動画にハマッてるって言ってましたよね。確か、noteにもなにか書いてましたが 織田   そう。好井まさおさんや松嶋初音さんの実体験怪談の怖さと語りに完全にやられてしまって、いろいろ観るよう

          実話怪談YouTubeが直面した最大の問題? そして、限界? 依然、盛況続くそのジャンル、シーンだが、ここにきてチラホラ不穏な実情が??

          日航123便墜落事故(事件)・第68回〜123便のチーフパーサーを務め、死亡した波多野純氏。彼の同僚にして親友だった方のブログの内容が、あらためて、とても興味深いという話

          日航123便にチーフパーサーとして乗務していた波多野純氏の同僚にして親友だった方のブログがある。 先だって、その中の一文に自分は感化され、不躾ながら、感想コメントにかこつけてある質問をぶつけたところ、丁寧な返答をいただくことができた。恐縮の極み。 前掲の氏のブログには、こんな記述がある。 123便事故に対する率直な疑問、および推論であり、元日航社員の記述としては、かなり踏み込んだものに思われるが、盟友の無念を思うと書かざる得なかったのだろう。 事故調査報告書を否定する

          日航123便墜落事故(事件)・第68回〜123便のチーフパーサーを務め、死亡した波多野純氏。彼の同僚にして親友だった方のブログの内容が、あらためて、とても興味深いという話

          日航123便墜落事故(事件)・第67回〜同事故を語る際に決まって出てくる、中曽根首相(当時)の「真実は墓場まで持っていく」発言。あらためて、そんな発言はなかったことをおさらいしておく

          はたして、その発言の出どころはどこなのか。123便墜落事故考証YouTubeシリーズ『ワタナベケンタロウ動画』では早々に「そういった首相の発言はなかった」ことに言及がなされているが、最近になっても考証動画やSNSのコメント欄などで、その発言の引用が目につく。 そうして、以下は、2019年11月のヤフーニュースにおける発言検証記事(この記事は最近知った。書き手は、ITジャーナリストの篠原修司氏)。 かの発言が、いつ、どこでなされたものなのか、結局、わからずじまいというのが実

          日航123便墜落事故(事件)・第67回〜同事故を語る際に決まって出てくる、中曽根首相(当時)の「真実は墓場まで持っていく」発言。あらためて、そんな発言はなかったことをおさらいしておく