日航123便墜落事故(事件)・第72回〜問題となった機の最後部を担当した客室乗務員、対馬祐三子さんと大野美紀子さん。非番で乗り合わせた落合由美さん含め、彼女らについて考えたこと
123便墜落事故考証YouTuberの第一人者のワタナベケンタロウ氏は、Xでこう書いている。
相模湾上空でのインシデント後、機内最後部のR5ドアに異変が起きたのは、18時31分台とされる。
R5ドア担当の客室乗務員はスチュワーデス(役職名)の大野美紀子さん(26)。だが、おそらく、率先してドア付近の状況状態を調べ、コクピットに伝えたのは、L5ドア担当のアシスタントパーサー(スチュワーデスの上の役職)の対馬祐三子さん(29)と思われる。
機内の客室乗務員の配置を見ると、左右ドアを基に対の一組として、アシスタントパーサーとスチュワーデスがきれいに振り分けられている。
なにかコトが起これば、コンパートメントごとにアシスタントパーサーが責任を持って対応したのだろう。機の形状的に、最後部ドアのR5とL5間の距離は特に近く、対馬さんと大野さんの業務連携は他の配置以上に密だった気がする。
そんな中、自分が気になるのは、あの「落合証言」だ。周知のように、落合さんは非番でたまたま客として機に乗り合わせていた日航のアシスタントパーサーであり、奇跡的に一命を取りとめた人。彼女は上の図でいうと、左の赤色の座席に座っていた。
後の彼女の証言の中で、対馬さんの動きが何度も出てくる。そうして、緊急事態ゆえ乗客への対応も手伝っている。だが、その証言に大野さんの動きは出てこない。
おそらく、いや、当然間違いなく、R5とL5担当の2人を見て、落合さんは対馬さんが自分と同じアシスタントパーサーであることがわかっただろう。筆者はそこらへん詳しくないが、制服の違いや、記章の有無などがあるのかもしれない。同じ仕事なんだから、そりゃ見れば一発でわかるだろう。
あらためて考えるに、落合さんはインタビュー(聞き取り)の際には、大野さんのことも少しは語ったのかもしれない。わからないが、なんとなくそんな気がする。
以下は、落合さんへの最初の聞き取り調査からの抜粋。
先にも書いたように、あのとき、落合さんは、乗客への対応を手伝った。一時的に、最後部担当の客室乗務員は3名になった。対馬さんとしても、落合さんがアシスタントパーサーの肩書であることはすぐに知っただろう。
なんとなく……、なんとなく思うことだが、対馬さんは、後輩の若い大野さんを、前のR4L4ドア(D部位)に近いコンパートメントに行かせたのではないか。落合さんの存在を心強く頼もしく思う中、不穏な状態と化したR5ドア付近や最後部からわずかでも大野さんを離れさせ、業務を分担したような気がする(前出の機内図を見ると、対馬さんと大野さん担当のE部位はとても長く広範囲。だからこそD部位には客室乗務員が3人いるのだろう)。
おそらく、落合さんもその判断をヨシとした。自分も手伝える限りはこのコンパートメントを手伝おうと……。一命取りとめた彼女の脳裏に鮮明に残ったのは、リーダーシップを遺憾なく発揮し、率先して行動する対馬さんの姿だったのではないか(対馬さんは機内アナウンスも担当しつつ、必死に乗客への指示のメモを書き残した。さらに落合さんによると、救命胴衣着用の指示は、コクピット発信ではなく対馬さん単独の判断らしい)。
下の写真は、落合さんと同じ列で逆サイドのR5ドア近くの席に座っていた乗客の小川さんが撮ったもの。写っている客室乗務員は大野さんとされる。
なお、最後に。対馬さんは、俳優の森大河さんの夫人というのは知る人ぞ知る話。新婚早々、非情な別れを迎えることになった2人の無念を思うと、言葉がない。
■対馬祐三子さんについて以前書いたもの↓
■2024年8月27日追記
以下、123便のチーフパーサーだった波多野氏の同僚だった方のブログより。肩章というものがあるらしい。アシスタントパーサーにも同様のものがあるだろう。