マガジンのカバー画像

1985年8月12日・日航123便墜落事故(事件)

64
あの世紀の大惨事における疑惑、疑問点について書いていく所存。当時、自分は高1(苫小牧高専電気工学科1年)でした。
運営しているクリエイター

記事一覧

日航123便墜落事故(事件)・第76回〜“政界のプリンス”加藤紘一氏は、なぜ、39年前の…

昭和時代、内閣における防衛庁長官というポストは、半年とか1年ぐらいで交代するのが常だった…

日航123便墜落事故(事件)・第75回〜冷戦のあの時代を思い起こしての夜中の戯言

昭和50年代から昭和60年代にかけて。北海道苫小牧市の国道36号線では、陸上自衛隊の車両、車列…

日航123便墜落事故(事件)・第73回〜『ワタナベケンタロウ動画』最新回を視聴して思っ…

『ワタナベケンタロウ動画』第160回を視聴(必見)。 ますますもって、その内容、検証は混沌と…

日航123便墜落事故(事件)・第72回〜問題となった機の最後部を担当した客室乗務員、対…

123便墜落事故考証YouTuberの第一人者のワタナベケンタロウ氏は、Xでこう書いている。 相模湾…

日航123便墜落事故(事件)・第71回〜2002年の藤田日出男氏と1986年の藤田日出男氏

日本航空のパイロットにして、123便墜落事故の真相について、最後まで尽力した藤田日出男氏(20…

日航123便墜落事故(事件)①〜事故調発表の飛行ルートとは異なる、相模湖付近上空を飛…

 わが国の航空史上最大最悪の事故にして、いまだ謎に満ち溢れた日航機123便墜落事故(1985年8…

200

日航123便墜落事故(事件)②〜あの日、あのとき、123便から発せられた緊急事態通知「スコーク7700」により、自衛隊のファントム2機は本当にスクランブル発進したのか???

 1985年8月12日の発生から36年と半年という長き時間を経ながら、依然、疑惑や謎に満ち溢れたままの日航機123便墜落事故(事件)。  自分は多くの(ちまたで呼ばれる)陰謀論者よろしく、事故調査委員会の公式報告書の内容や、2000年に流出公開されたボイスレコーダーの内容に改竄含む疑義を抱く者だが、今回、本稿で今一度考えてみたいのは、例の自衛隊百里基地(茨城県)からのファントムのスクランブル発進について。  公式見解を基にしたwikiには次のように書かれている。  ゆえ

日航123便墜落事故(事件)③〜機の事故前、終盤の飛行経路について。「埼玉県上空は(ほ…

発生から37年目を迎えても、依然、謎と疑惑に満ちた日航機123便墜落事故(事件)。ボイスレコー…

日航123便墜落事故(事件)④〜墜落に至るまで、機は実際、埼玉県の上空のどのあたりを…

先だって書いた「日航123便は埼玉県上空を飛んだのか?」の稿。事故疑惑派の面々も(なぜか)事…

日航機123便墜落事故(事件)⑤〜あのボイスレコーダー冒頭に収められた「〜したいって…

日航機123便墜落事故に関心のある者なら周知の、公開されたボイスレコーダー冒頭、あのドカ…

日航機123便墜落事故(事件)⑥〜ネットで見つけた事故に関しての気になるコメントから…

「ネットで見つけたコメント」と書いたが、ほぼほぼ、123便墜落“事件“考察におけるハイ・ク…

日航機123便墜落事故(事件)⑦〜あの夜、時事通信が配信したとされる2つの正確な情報は…

日航123便墜落事故は、大まかな(ほんとに大まかな)謎として2つの重大事項が挙げられる。一つは…

日航機123便墜落事故(事件)⑧〜インシデントから墜落までの32分間、恐怖と絶望に晒さ…

123便事故を検証し語るうえで、最も重要な証拠資料と呼べるのが、あのボイスレコーダー。最悪…

日航機123便墜落事故(事件)⑨〜機のインシデントの核心である最後部の片側、L5ドアのコンパートメントを担当していたアシスタント・パーサーの対馬祐三子さん。彼女に関する私的論考、思いのまとめ

これまでフェイスブック上で、彼女について綴ったものをまとめてみる。単なる一個人の疑問や推論や戯言だが、流れの形で見てみると、新たになにか示唆めいたものが浮かび上がるかもしれない。