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心身二元論について
西洋哲学史の本を読むとプラトン以来、「心身二元論」をいかに乗り越えるかが西洋哲学史の一大テーマであるとされる。
しかし、その際の「心」とは人間精神のことを指している。「心」を所有するところのものである「身体」が原初に前提されているのだ。
「身体」という物質は自然法則により「存在する」というところから始まる。その「存在する」ということがどういう事態なのかが問われてくると。
「存在する」ということ自体が何かの自然法則だとすると、自然法則自体が何かの精神、絶対精神とでも呼ぶべき自体なのではないか。
そういった点で心身二元論は一つの「心」に基盤を持つことになる。その場合の「心」は身体を超えたところで最初に実在したことになる。
心身二元論はグルグルと循環するのだ。
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