見出し画像

無駄なことなんて、きっとない。

一難去ってまた一難と言わんばかりに、仕事でモヤモヤする出来事があった。
ようやく良い方向に転び始めたと思った矢先のことだった。

ここ最近、社会人ってなんだろうと考えることがとても多い。

理不尽なことや嫌なことがあっても、チームに合わない人がいて腹が立っても、こころを乱されていることをおくびにも出さずスマートに振る舞って。
朝起きて「会社に行きたくないな」と思っても、自分を奮い立たせて出勤して、淡々と仕事をする。

「会社という組織に属しているのだから」、「いろいろな役割や責任があるから」、「お給料をもらって働いているのだから」。

“社会人”として立ち振る舞わなければならない理由は、たくさんあると思う。
社会という荒波に呑まれないための術を身につけ、上手く世渡りしなければいけないということもわかる。

それでも、嫌なものは嫌だし、辛いものは辛いと思う人間的な自分もいるのもまた事実。
ちゃんとした社会人として振る舞わなければと思う自分と、人間としての感情を抑え切れない自分に板挟みにされて、苦しい日々が続いている。

***

今月の下旬に社内で開かれるイベントに、初めてスタッフとして参加することになった。
わたしは、エントランスで受付業務を担当することになっている。

昨日、当日の流れを実践形式で確認するリハーサルが行われた。
他部署の方をお客様に見立て、事前に聞いていた説明の通りに動いた。

これまでの仕事が接客業だったため、わたしにとってはある程度馴染みのあるもので、言わばできて当たり前だった。

けれど、わたしの前職を知らない他部署の部長さんは、「完璧だね!イベントの受付担当初めてじゃないでしょ?」と冗談半分なトーンではありつつも驚いた様子だった。

ただ言われた通りに対応しただけなのに、事あるごとに「完璧だ」というお言葉をいただいてしまい、そんなに褒められることでもないのにな、と最初は思っていた。

けれど、時間が経つにつれ、接客経験というのも一つのスキルで、わたしの武器なのだろうかという考えが頭をもたげるようになった。

大した資格も持たない状態で2回転職をし、今の職場でようやく専門的な資格を取り始めたわたしが、初めてこれまでの経歴にキャリア面での意味を見出せたように感じた出来事だった。

***

これまでの社会人経験で得たものが何もないと思っていたわけではない。

新卒で入った職場では、世間には本当にいろいろな人がいるものだということを嫌というほど体感したし、
前職では休職を経験し、心身を病むほど苦手な人が職場にいたときにどんな心持ちでいたらいいのかを学んだ。

そして今は、これまでの職場では組織の性質上ぶつかることのなかった、未体験の苦悩と向き合っている。

これまでのわたしだったら、環境を変えて問題から逃げる選択を取ったかもしれない。
けれど、転職を繰り返した今のわたしは、環境を変えたところで似たような悩みに直面する可能性は大いにあるし、環境を変えずとも乗り越えられる方法があるかもしれないと思うことができている。

それはきっと、世間には本当にいろいろな人がいるということを初めての職場で経験し、半年間の休職の後、嫌な先輩がいる職場に復職して働いたという経験を前職でしたということが理由の一つなのではないかと思う。

わたしの母は、わたしが新卒で入った会社のことを良く思っておらず、「この会社でこんな経験をすることができたのだ」と話したことに対して「そんなのどこでもできる経験だ」、つまり取るに足らない経験なのだと返されたことがある。

けれど、経験した本人が貴重な体験だったと感じているのなら、そうであるに違いないのだ。
キャリア的な面においても、人間としての成長といった面においても。

だから、今直面している悩みも、きっと無駄なものじゃない。
無駄な経験なんて、きっとない。

そう思えたら、少しこころに光が差した気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?