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友人が天国へ行った話と、咳と、肺炎と。その①

人生初の肺炎になった。
最初は気管支喘息だったはずなのに、なぜかあっという間に肺炎になってしまった。

始まりは10月初旬の友人の葬儀だった。
9月下旬のある日、高校の同級生の訃報が入った。

私に一報を連絡してきてくれた友人Nは今年に入り彼女と元気な姿で会っていた。
また友人Nは彼女と非常に仲の良かったはずなのに、私に連絡をくれた時点で “亡くなった” 以上の情報を持ち合わせておらず、もう何もかも分からないという。
さらに亡くなった日から葬儀までが一週間もあったため、何かあったのでは…と勝手に様々な想像をしてしまい1人であっという間に落ち込んだりもした。
(後で知ったが、今の東京は斎場が混みすぎて葬儀が1週間後というのは普通のことらしい)

そして翌日、追い打ちをかける出来事が起きる。
彼女の訃報を聞き寝れたのか寝れてないのか分からないような夜が開け、月一のコロナ後遺症の診察を受けるため朝から都会へ行った。
都会の空気にプチパニックを起こしながら診察を待っていると、今度は仕事仲間の訃報が飛び込んできた。
彼女は、自分で、今、天国へ行こうと決め、その宣言通り安らかに旅立ったらしい。
彼女が自分らしく、自分の意思でそれを選択出来たのだったらそれで良いと思った。
だが、そんなのは自分を落ち着かせるための言い訳にすぎず、あまりにショックで病院の待合室で泣いてしまった。とにかく悔しかった。

そこからの日々は何もわからず感情は相変わらず驚きで固定されていた。
その驚きがパニックに変わらぬよう自分に似合った喪服を丁寧に選んだり、綺麗な御数珠を探しに行ったり、帛紗を自分で手作りしたりして自分なりに気持ちを作っていった。

そしてお通夜当日。
自分の身体がいつの間にか11号になっていたことにも気付かず9号の喪服を用意してしまったため、その身体をミッチミチに黒い布の中に詰め込んで小一時間の長旅へ出た。
普段履き慣れないヒールも履いた。本当に彼女は亡くなったのだろうか?と何度も自問した。その度に黒いヒールに黒い喪服姿の自分をじーっと眺め、どうもそうっぽい、などと納得させた。

会場の最寄駅で連絡をくれた友人Nと落ち合った。久しぶりに会うので本当だったら抱き合ったり大きい声出して笑いたいのだが、二人とも全然そんなテンションじゃなかった。なんか、おぅ!元気?くらいは言った気がする。

タクシーで会場に向かう。車中で友人Nが、彼女はどうやら病気だったらしい、と教えてくれた。そこで今回の訃報を聞いて以来の一番大きい声が出てしまった。なんかこの日までに勝手に色々な想像をしてしまっていたから、安堵にも似た驚きで声の音量がバグってしまった。自分で死を選んだんじゃなかったんだ。良かった。だけど、この年齢で、たった数ヶ月で天国へ送られてしまうような病気?何それ?

2人車中で、会場に行きたくない、信じられない、ずっとよくわからない気持ちだった、ゆっくり喪服や御数珠を選んで心の準備をした、と打ち明けあった。
びっくりするほど心の過程が似ていたのでやっぱり私たち友達なんだ、と納得した。それと同時に私たち2人がどれだけ彼女のことが好きで、信頼していて、何もかも許し合っていた良い友人関係だったのかに気付き、なんだか切なくなって黙り込んでしまった。

会場に着くと知ったはずの彼女の名前が斎場の入り口にデカデカと掲げられていてなんだか夢みたいな気持ちだった。が、そこでやっぱり本当なんだと気付き、友人Nも私も一言も喋れなくなってしまった。喋ったら泣いちゃう。泣いちゃったら本当に彼女が亡くなったことになる。

受付を済ませ会場の方に「故人へのメッセージをこちらへお願いします」と促された。長机の上に可愛いメッセージカードがたくさん用意されていて、そこに好きなことを書いて良いらしい。
すでに誰かが書いたであろうメッセージカードがまとめられていて、それには◯◯ちゃん、ありがとう。〇〇ちゃん、大好きだよ。〇〇ちゃんよく頑張りましたね。などと書かれていた。
…は?なに?もしかして彼女は本当に死んだの?

色々な事実が怒涛のように押し寄せてきて、たまらず友人Nに「私おトイレ行ってから書きます」と振り返って宣言したら、友人Nはもうとっくに泣いていた。
斎場のゴージャスなお手洗いで、さっき見たことはなんだろう、と思いながらゆっくり用を済ませ会場に戻ると急に女性に名前を呼ばれた。友人Sだった。
いきなりだったけど高校時代のあだ名で呼ばれて胸の温度が瞬間じわりと上がったのが分かった。
そこにいたのは亡くなった彼女と小中高一緒の友人たちグループで、彼女と一番仲の良かった友人Oもそこにいた。ちなみに友人Nも亡くなった彼女と小中高一緒である。

瞬間、友人Oがわっと泣き出し、友人Nに駆け寄った。
そして堰を切ったように彼女に何が起きたのか話してくれた。
なんと彼女は卵巣がんで、気付いた時にはかなり進行していて、手術もして抗がん剤治療もして、そして回復したら家に戻ってゆっくり体力を戻すんだ、と思っていたらあっという間に入院からたった2ヶ月で天国へ行ってしまったらしい。
本人も普通に退院すると思ってたから、退院後のお散歩用に新しいスニーカーを買っておいたり、10月も11月も推しのライブに行くためチケットをベッドの上から購入済みだったりした。
その推しのライブに一緒に行く予定だった友人Oも当たり前に元気になって退院すると思ってたし、毎週のように彼女とイベントやライブに行く生活を高校生から続けていたし、なんならそうやってライブに行くようになる前は、校庭で、教室で、公園で、お互いが子供の頃から一緒に遊び続けていた訳で、それを思うと言葉がなかった。

よく分からないままお通夜が始まった。
多分私たち同級生グループはその時点で会場の誰よりもワンワンと泣いていた。
会場に入るとたくさんのお花と共になぜか可愛い彼女の写真が飾られており、ぼーっと数秒眺めた後に「あ、これ遺影か」と気付くほどだった。なんか何もかもぼんやりとしていて、だけど感情だけが何よりも鋭く心に刺さり続けていた。

そこからは一般的な式が始まった。お経を唱えたこともほとんどない人生だったから一つ一つにどんな意味があるのかもよく分からなかったけれど、彼女について冷静になりゆっくり想うには充分な時間だった。
その日は雨で、感傷的な参列者の一部が彼女が泣いてる、お空も泣いてるなどと言っていたが、勝手な想像で不確定なこというな!!!とここでも反骨心が湧いてしまいそれが逆に自分を取り戻させてくれた。

式が続くにつれ、なぜか参列者がゴホゴホと咳をし始めた。
その輪はどんどん大きくなったが、読経が耳がワンワンとするほどのボリュームだったのでさほど気にはならなかった。
しかし式が進むにつれ明らかに咳の人数と回数が増えていった。
雨だからか、会場の乾燥か、お線香か、花の花粉か、換気が足らんのか?などと考えていた。

そしてそのうちお焼香タイムがやってきた。
実際、私はそれまで他の同級生に比べてあまり涙が出ず、本当なのかな、という気持ちが勝っていたのだがお母様、そしてご家族にご挨拶をし、遺影とはまた違う可愛い写真の、その横に置かれたざらりとした香を指先で持ち上げたその瞬間に、あぁ全部本当なんだと悟りわんわん泣いてしまった。
多分それは、とても数は少ないけれど私が人生で経験した「人が亡くなった時にする特別な動作」であり、これをしたということは本当に亡くなったということ、というどこかに眠っていた自分の記憶とリンクしたのだと思う。身体が覚えていたんだな。
私の中でここで初めて彼女が亡くなったことになった。

お焼香をした後、一旦会場からはけてエントランスに留まる形になるのだが、そこに辿り着くまでに一緒に焼香をあげた友人Sと抱き合って何度も何度も「悔しい」と言い合った。友人Sも同じ気持ちだったらしい。

そこに多分彼女の親戚っぽい「親類の中に1人はいる、超絶コミュ力があって一番困ってたり辛い瞬間になってる人のところへ駆け寄り一言かけてくれる頼りになるマダム」が私たちのもとへやってきて「お友達?辛いわよねぇ、本当に辛いわよねぇ、でも来てくれて本当にありがとうね」と煽ってきたので、私もコールアンドレスポンスとしてその日一番どでかい声で「悔しいです!!!!」と返してしまいみんながちょっと振り返っていた。号泣してる人間は声のボリュームが調整出来ないらしい。

少し冷静になり始めたあたりで会場をよく見回すと高校の同級生含め、会場から溢れんばかりの人が来ていたことに気付く。半分以上の弔問客が急遽エントランスに用意された臨時席でお焼香を待っていた。
先程の、悔しいです、で私がいることに気付いた同級生たちと少し言葉を交わす。
久しぶり、こんなことで会うなんてね、と言い合った。
式の最中に彼女のお母様が彼女の病気発覚から亡くなるまでのことをきちんと何も誤魔化さず弔問客全員の前で伝えてくれた時間があったため、皆静かにそれを受け入れていた。だから誰も憶測を呼ぶような会話もしなくて済み、と、同時にお母様が全て話してくれたことで「私たちも一緒に背負います」と少し強い気持ちで前を向けた。

そしてその日は皆疲れ果てていたため、早々に帰宅した。
明日は告別式である。

続く…




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