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人を信用できるということ

私は先日、人生初めての中南米、メキシコ旅行に行ってきた。
アメリカに留学中だったので、アメリカ文化とは一味違う文化体験
をしたいと思ったのだ。

メキシコシティの市場で可愛い雑貨を見飽きるまであさったり、
サボテンの間から顔をだして写真を撮ったり、
寝ても起きてもタコスを食べたりして楽しんだ。

出発前の南米出身の友人やネットの情報から、
メキシコの治安はあまり良いとは言えず、
ここで死ぬもんか、
自分の身は守るぞと心掛けていた。

ある日、横断歩道を渡っているとき、日本語で声をかけられた。
声をかけられることは珍しいことではなかった。
「コンニチハ、トウキョウ」
こんな感じのカタコトな日本語で。

身を守るためにもこれまでと同じように、
軽く会釈をしてやり過ごそうと思っていた。

けれど、その人は諦めずに流暢な日本語で話し続けた。
おすすめや困ってることがあれば力になりますよと。

その時、私たち三人はきっと、この人を信用したい気持ちと
疑いの葛藤を持ち合わせていただろう。

私たちがもたもたしてると、その男性は頻りに、
勿論何も必要ありませんよと一言。

その瞬間、私は罪悪感でいっぱいになった。
私たちの彼を見る目はきっと、その一言を言わせてしまうほど、
疑い深かったのだろう。

そんな目で人から見られた経験は自分にはない。

信頼はまた別の話だけれど、他人を信用できることは、
治安の良さとどこかで比例関係が成立していて
人を信用できることが小さな幸せでもあるんだなと気づいた
メキシコ旅行でした。


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