恐父の館

毒父の話。

父親が30半ばの頃、私は生まれた。
両親は交際歴8年、結婚は当時の割には遅かった。

聞けば父親の家系は長崎出身の、代々カトリックを信仰していた。
神を熱心に信仰している割には、クズな血筋だったと思う。

父親は4人姉弟の長男で、貧乏人のくせにいいこいいこで育てられた甘ちゃんだった。
長男、というものは昔は相当かわいかったらしい。今じゃよくわからんが。
特に父の母親(私から見て祖母)が父を溺愛していたらしく、息子は見事なほどにダメ人間に育っていた。

もうこれネタでしかないんですけど、父の小学生の時の通信簿見たら
「何考えてるかわかりません」
って担任から書かれてたのです…ちょっとしたサイコではないか、と子供ながらに私はゾッとしました^^

そんなサイコ野郎が結婚できて子が生まれただけでもちょっとした珍事だが、私が生まれても父はクズサイコのままだった。

幼児だった私はある日、結構派手な怪我をした。自宅のガラスに激突し、目から血を流す惨事だった。
父は慌てふためいて病院に連れて行くかと思いきや、目から血を流す我が子を布団に寝かし、外出していた嫁(母)を待っていた。
当然、嫁激怒。病院で私が麻酔なしで瞼を縫われるという拷問を受けてる最中、嫁の怒号が待合で響いていたらしい。

そこから十数年、父の毒親サイコ野郎っぷりは治まることはなかった。
私が高校生の頃、父は統合失調症を発症し始めた。

「近所の奴らが俺を見てる」
「お前、俺の会社の奴とグルだろう!携帯で何コソコソ連絡してるんだ!」

……等々の妄言を吐くようになり、特に家族の中でも私にキツく当たるようになった。
当時は統合失調症など知らないので、「とうとう気が狂ったか」と驚愕でしかなかった。
仕事でのストレスだろう、この妄言や妄想は定年退職するまで続いた。

成人して私が鬱診断されたある日、ブチギレた私は父の妄言等が統合失調症であること、それは立派な精神病で要治療であること、治療をしないので家族に迷惑がかかっていることを怒鳴りながらまくし立てた。
しかし、父はサイコな反論をブチかましてきた。

「俺は精神病なんかじゃない!お前はネットばかりして変なことばかり調べてるからそう思うだけだ!後、お前たちは家族なんだから、俺の話(というかすべて妄言)を黙って聞く義務があるんや!!それにお前は鬱病なんかじゃない、ただの甘えなんや!!!」

毒父公認のサンドバッグ、と形容すべきか…サンドバッグにでもならないと、私はあなたの娘でいられないのでしょうか?

20代半ばの夏、私は絶縁状に印鑑を押し、実家を去った。

(続く…?)

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