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今や多くの女性が「子育てをしながら働く」生活をしています。でも、社会の中で”ハタラクワタシ”でいた時に「平日も子どものために時間を使います!」と堂々といえない自分がいます。

平日日中を、子どものために使う後ろめたさ

ある日のできごと。
子どもたちが通っている小学校は、夏休み明けに1週間ほど集団登校があります。親たちは、一週間持ち回りで学校まで付き添い。その日は末の息子が小学校でやっているサッカーのお当番もあって、15時半位から18時過ぎまで校庭にいました。

その日、”ハタラクワタシ”の稼働時間は、実質6時間程度。まあまあ、稼働はしているものの、何だかものすごくサボってる感覚。

私は自分の会社で仕事をしているし、クライアントの皆さんは、私の個人的な状況をとても理解してくださっている方ばかり。1週間の中では、仕事の辻褄を合わせています。それでも”ハタラクワタシ”は、平日の日中を子どものために使っていることに、罪悪感を感じています。何となく、コソコソしてしているのです。

子育てで感じる罪悪感の正体は何か

この罪悪感の正体は、女性と男性が1組になって、仕事と家事・育児を成立させる、いわゆる「男性稼ぎ主型」の働き方が、私にも刷り込まれているせいだと思います。

これがいわゆる、アンコンシャスバイアスとジェンダーバイアス。

私の中の刷り込みを言語化するならば、
○日本社会の中で、子ども・家庭を養うのは健常な成人男性である
○働く人は多くの場合、正社員雇用されており、平日日中は就業時間である
○子育ては女性がするもので、働く人は平日日中には対応しない
○働く人の立場として、平日日中を家族のために使うのは、サボり
○家事・育児は、胸を張って労働と呼んではいけない感じがする
というものです。

健常な成人男性のように働かない自分をどこかで責めているのです。”ハタラクワタシ”が女性であり、母であることを罪悪だと、残念ながら私自身が心のどこかで思ってきたのです。

家事・育児は、胸を張って「労働」と呼んではいけないのか?

思えば、いろいろな場面で家事・育児に対する罪悪感を感じてきました。

例えば、育児で言うと…
○公共の乗り物で子供が泣き止まなかった時
○ベビーカーが思いがけず道を塞いでしまった時
三兄弟を連れて歩いていると、励ましと同じくらい、怒られたり、舌打ちをされました。

家事の罪悪感は今でもあります。
○平日の朝からスーパーマーケットに買い出しに行く時
○お天気がいいからと午前中を掃除と洗濯に充てた時
これは”ハタラクワタシ”が感じることですが、中途半端にすると、
今度は”ハハデアルワタシ”が罪悪感を感じるというジレンマに陥ります。

私たちが、子どもを育てることは、罪なのでしょうか? だとすれば、もはや子どもを産むことは、罰なのでしょうか?

罪悪感に「NO」といいたい

そんなはずはないのです。
さまざまな理由で子どもを持たないことはあれど、基本的に生物としての人間は子を産み育て、増やすという本能を持って生まれてきます。また誰しもが衛生を保ち、食べるものがなければ生きてはいけません。

私たちが時間をやりくりして、仕事と家事・育児を両立させていることは、絶対に間違っていません。

家事・育児で感じる罪悪感に、これから私は「NO」といいます。これは刷り込みによる負の遺産でしかないはずです。だとすれば、刷り込みを刷新すればいい。今を生きる私たちに合わせた価値観を、産み直せばいい。

そのために進めている準備については、また次の機会に…




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