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正義感の強さは生きづらさそのもの


『自分が正しい』『これと思ったらやり切る』
『〇〇であるべき』『〇〇のため』

真面目で立派な人ほど
色濃く持っているこの『正義感』
この正義感の強さにより
まわりの人とのコミニケーションや
人が離れてしまったり
なかなか人間関係を長く築くことが難しくなる

正義感が強く出たことで
失ってきたものは大きいものではなかったですか?


正義というのは支配欲とすごく似ているなぁと
私は感じているんです。。

正義感の強い人は真面目であり、頑張り屋さんなんですけど、正しさに向かって
自分のこともまわりのことも支配する力が強まるなぁ。。。って。。


『自分が正しい』と思い込む正義は
目の前の人の気持ちすら支配してませんか??
支配できない、
正しさを理解しない正義に反した人に
報復してませんか??

それは無視、リセット、ため息、無言の圧力、
さまざまな形の受動攻撃でしょうか。。

人数が集まれば
高々に拳を上げて強く正義を主張する感じでしょうか。。


自分の中に正義がムクムクと育ったとき
目の前の人を1人の人間として対等に見える心を失ってはいませんか。。
わかってないやつと見下した気持ちになってませんか。。


正義は人を興奮させる作用があるのかもしれませんが。。
その真面目さと
正義感で最終的に孤独になってませんか?



多分なんですけど、そこの原点も
育ちと愛着。。大いに関係があると思ってます。
あなたのせいじゃないし
あなたは悪くないと思います

記憶にも残らない些細なことの繰り返しが
日常なので、
その中に正義感を育てる何かがあったんだと思いますし、正しくいないと生き残れない環境だったのかもしれないですから。。


でもその正義感。。うまく言ってたのは自分に向けた時だったのかなぁと思います
子どもの頃に、どこかで成功体験があるから
大人になってもそれをしてるんでしょうし。。

子どもの頃は正義を振りかざしても受け取るのは親とか大人なので『立派だね!』になるかもですけど、

大人になって正義を振りかざしても
受け取るのは奥さんや旦那さん、友達、職場の人、子どもですから。。
親のように『うちの〇〇立派ね!』とはならないと思うんです。。


でも愛着に傷のある人というか
アダルトチルドレンって、そのまま大人になってるんですよね。。
本来親に求めておくべき気持ちや
育ちの段階で親との人間関係で必要なことをできてないから

成長して他人にそれを求めてしまって
思った通りに返ってこないと怒ったりするんですよね。。


でも本人は知らず知らずに孤独になっていて
生きづらさを感じている。。みたいな状態なんだと想像してます。


やっぱり大人になって個人として必要なのって
正義よりも共感や尊重ですから。


もしね、自分の正義感に気がついていて
(気が付かない人も多数いますが。。)
もし、気がついているなら
自分の生きづらさに疑問を持ったりしているなら
正しい事を伝えるよりも先に、
(正しい事をなかったことにするとかではなく)
正義を貫く前に、目の前の人の気持ちや発言に
寄り添い、尊重と共感の気持ちを伝えることから
はじめて見てはどうだろうと思います。


正義を言いたくなることも
言ってしまうこともたくさんあると思いますが
ぶった斬るやり方ではなく、
そこに共感のスパイスを持つというか。。


これはね。。
私がしてもらいたかったことなんです。
正義感の強すぎる相手に。。
別にその人の意見が正しいとか
自分が間違ってるとか。。
あるいはその逆とかではなくて。。

ただ、話を聞いてもらいたかったし
寄り添って欲しかった。。
ただむしろ、言葉すらかわさなくても
顔をあわせて隣同士でお気に入りの映画でもひとつ見ることがかなったら
その空気だけで尊重する気持ちや共感する余裕が生まれたのでは??
私も、1人の人として扱って欲しかったという思いが残ってるから。。
ちゃんと向き合ってほしかった。。のような気持ちが
心に引っかかってるので。。。


愛着の問題というのは本当に難しいなぁと思いますね。ほんとに。。
自分がある程度自分を知っていても
同じぐらい自分を受けいれてる人じゃないと
どんなに大切でも一方通行になっていくのがとても不思議です



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