処女が終わる時

初めて恋人が出来てしまった。私は日々、非常に戸惑っている。まさか自分の夢すら消し飛んでしまう程、その事に夢中になってしまう時があるとは思っても見なかった。だから、ここにそんな日々の率直な感想を述べたい。

彼に対する気持ちは、初めて会った時気の合う友人だった。仲良くなれそうだなとは思っていたが、本当に私を一人の女性として見られているとは思っても見なかった。

「デート」という言葉も、男女の友達が二人で会うことをそう呼ぶのだと思っていた。私は世間知らずを通り越して、いつしか都合のいい解釈をしていたと思う。彼はとても甘え上手で、強引でせっかちな性格だ。私はそんな彼に対し、好奇心を抱いた。その人に会ってみる事を選んだ。

出会った人は自分の興味のある分野や効率良く物事を進めることに対して頭のいい男性であった。本人は自分のことをモテたことがないと言っているが、女に限らず人間の扱いを心得ている。私は彼の作った流れのまま、まんまとその数々の仕掛けられた罠に嵌ってしまった。彼は目的達成のためなら手段を選ばないタイプの恐ろしい人だ。だからこそ惹かれるし、油断はできない。そして恐らく今のところこれは私の負け戦だ。

私は彼の数々の女の中の一人に過ぎないだろう。彼は自分をモテないと言うが、それは全くの嘘である。彼の頭には常に女を操り人形にする計算式があるのだ。私はその才を見ていた。そして私は容易く騙されてしまったのだ。とても悔しい。彼のシナリオ通りに動いている自分が恥ずかしい。私は自我が崩壊していく姿を見ていた。

有り得ない快楽だ。私はこの沼にすっぽりとハマってしまい、やがて彼の思惑通りの召使いになるのかもしれない。

彼の小さな頃の夢は王様だと言っていた。

つまり私は王様に仕える召使いであれ、そう脊髄から命令されているのだ。

彼の並べる曖昧で美しき言葉の裏側に、絶対的なものがある。

欲望との戦いを強いられるが、私は彼の前で平伏す事しか出来ないのか。

その屈辱が堪らなく快感と感じる時もあった。


あった日に私はあっけなく処女を喪失した。案外簡単に許してしまう自分が怖かった。本能に強制的に従わされている感覚がした。恐ろしいものを目の前にした時、人間は強いものに従いたくなる。それは強烈で犯しがたい本能。彼はそのことを知っていたのだろうか。それとも無意識なのか・・・。人生のどん底でうずくまっている弱弱しいメスであれば容易に狩って、自分の思い通りにできるとでも本能が思ったのだろうか。その読みを見事に的中させてきたというわけだ。悔しさから私は敵意を向けていた。


私が彼と付き合うのは、その彼と付き合うことで自分を試したいことと、彼の強さを間近で浴びて、自分を強化するためである。私は無駄な人付き合いが大の苦手である。もしも付き合うことでメリットが感じられないのなら、自分の時間を割いてまで付き合う必要などないと思っている人間のゴミクズだ。総合的に見てそちらに時間を投資してもよいかと考えた。ただ単に性欲に駆られている時もあるかもしれないが、大抵は彼の提示してきた未来のビジョンは少し魅力的に見えたため、そちらの世界観を覗いてみたいという気になった。狩られたことに対する復讐も込めて、いずれこちらからも狩ってやろうとも考えた。負けっぱなしは嫌である。


決して恋愛に溺れ依存的になってはいけないというのが私たちのルールなのだ。それはただの一時的に快楽を満たしあうお遊び的な付き合いで、直ぐに互いが飽きてしまうだろう。彼が結婚というパートナーシップを望んでいることはまだ油断ならない。私は結婚願望もなければ子供が欲しいとも考えたことがなかった。それに今まで自分の外見を磨いてこなかったし、誰かと付き合いたい等と思ったこともなかった。しかし、まあ彼の可能性を広げるための役に立てるのであれば、それは私にとっても光栄であるし、何より私に彼なりの今後の提案をしてくれた。つまり、私たちが協力すれば互いに成長できるということだ。失敗したとしてもそれもよい経験だ。そう割り切って新しいことにチャレンジしたいという彼の気持ちを今のところ私は買ったというわけだ。代償としては彼に縛られるというデメリットもあるが、縛りは自分のダメ人間さを矯正するために利用できる。そうでも考えないと、人と合わせるなんてやってられない。私は独りが大好きなのだから。


セックスするときに私は処女を喪失したくないと思った。しかし、脳裏にSNSで別の男と話したことを思い出した。数学者や物理学者は童貞を守った方がよい、文学者は童卒した方がよいと。物理学者は現象の真理を問う者。そして文学者は現象の観測記録を行う者である。つまり、文学者たるもの時に阿保になり本能の赴くまま現象に流されて、その時に見えるものを沢山拾い集めなければならない。理性を廃してみるということを行った。それからはスムーズに事が運ばれていった。全く違う世界観に巻き込まれ、気づいたときには自分の常識が変わっていた。処女の根無花はもう二度と戻らない。私はそれを失うことで、新しいものを得ることができた。それは新しい自分の姿だった。それも一つではない。自分を固定する必要がなくなったのだ。


今まで時間を止めて過ごしていたため、今は変化が激しい時期で大変なのだ。しかし何とかもがきながらも楽しんでいる。ドМでもあるのかもしれない。はあー、結婚なんてしたくねえよ。でもなんでかな、面白そうと思ってしまうんだよ。私って軽い女だったのかな。まあいいや、どうせもう童貞も捨てたし魔法使いにはなれないんだし。それくらい処女っていうのは重いんだぜ。って話だ。

愛とは勝利とか言ったが、愛は敗北でもあるとはよく言ったものだ。SNSの別の男は常に求愛アピールをド直球にしてくるのだ。結局、男女が深く語り合ったところで所詮はオスとメスの戦いである。そして男女の本当の友情や愛情などは恋から覚めてから始まるものなのかもな。


あまり公に出す話でもないことは承知である。しかし、私はアウトプットしなくては頭の中がいっぱいになって混乱してしまう。ストレス発散のクソオナニー記事をここまで読んでくれてありがとう。ふぁっくゆー。

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