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「学校に行かせていない親」というレッテル

久しぶりの 更新です
相変わらずばたばたとした日々を過ごしていますが
生きています 元気です^^


新学期を迎え、そして大型連休が終わったこの時期
「学校を休みたい…」
「学校のことを考えると おなかが痛い…」
そんなお子さんが増えてくる時期ではないだろうか

そんなこともあってか 
私の滞りがちな このnoteを読んでくださる方が
有難いことに ぽつりぽつりといらっしゃるので 
たまには・・・と思い 更新することにした


今回は 「学校に通っていない子ども」を持つ親として
まぁ何とも言えない 気持ちになったことを 書いてみようと思う

とある家庭についての噂話

数か月前の話だ ある場所でこんな話題になった
ある親子の話だった

「Aさん 離婚したのよ
子どもさんは 発達障害があってね 
集団生活に馴染めなくて Aさんも大変だったみたい

その子どもは Aさんの元夫に 引き取られているらしいのよ

Aさんの話によると その元夫は 子どもを学校に行かせていないんだって

母親のAさんも複雑な人だったけど 
父親まで学校に行かせていないなんて…
どんな暮らしをさせているのか… ネグレクトだと思わない?」

この話を聞かされた私は
「・・・う~ん」と 唸るしかなかった

ちなみに わが子が学校に通っていないことも 良く知った人が
こう言い放った事にも 気抜けした

学校に行かせていない⁉

この話を聞いて
学校に行かせていない
この言葉が どうも私には引っかかったのである

この話しをしていたのが
子育て関係の支援者という立場だったからかもしれない

もしそれが「学校に行っていない
だったら 気にはならなかったであろう

・学校に行っていない
・学校に行かせていない

このふたつは 
似たような言い回しだが 全然違うのである

固定観念でレッテルを貼らないで

私は話題に上った 父親や子がどんな人なのか
知りもしない
また この話をしていた人も
この「父親」や「父親と子どもの関係性」を 実は良く知らない

学校に行っていないことの理由や
親子の暮らしぶりについてなど 
良く知らない人同士での会話であった

「学校に行かせていない」という表現は
学校は 本来行くべきものなのに 行っていない
つまり 「行かせていない親は 何をしているんだ!?」
そういうニュアンスが 含まれていると 私は感じる

「学校に行っていない」は その状況を説明している言葉なので
間違ってはいない

だが 
「学校に行かせていない」は 
話し手のジャッジ≒無意識のレッテルが 含まれてしまっているのだ

そんな小さな事 大した違いではないと感じるかもしれないが
私はそうではないと思うのだ

「学校に行っていないから ちゃんとしていない家庭だ」
そういった固定観念がある人の 自分なりのジャッジが乗ったうえで
他の家庭のことを 語らないでほしい そう思うからだ

学校に行っていない家庭 ってどんなイメージ?
毎日掃除機を掛けない家庭 ってどんなイメージ?
新聞を取らない家庭 ってどんなイメージ?

イメージを抱くのは 勝手だが
そこに 自分なりのジャッジを加えて 噂話のように 語らないで欲しい

そして支援者の立場であれば なおさらだ
そのようなレッテルを貼って クライアントを見ていては
その親子に寄り添って 支援するという事が難しいと思うからだ

世間からの見え方

この話をした人は 私の親世代の人であり
学校に行くことが当たり前と 思って育ってきた世代であり
無理はないかもしれない 
なので 責めるつもりはないが

この一件で 改めて認識したのは
世間一般では
学校に行っていない家庭の親を
「学校に 行かせていない親」
そう呼ぶ人がいるのだということ

世間の風当たりに鈍感になれよ

わが家は 「不登校の子がいる 苦労している家」
そんな風に 色眼鏡で見られることが多い

世間から
「学校に行かないなら 勉強はどうしているの?」なんて 
向こう見ずな質問を 投げかけられたかと思えば

「お母さん大変でしょう よくやってるわ…
(深読み:私はできないorわが子はそうならない)」と 
勘違いな優しさを振りまかれたりして 辟易することもある

だが 立場も違うから それはそれで 仕方ないとも思う

そこで ことさらに
「学校に行かなくても 彼らしく 充実して生きてます~」 
なんて 言おうものなら
その説得力のない言葉が 力をなくして
余計に 悲壮感を漂わせるだけなので
ヘラヘラと笑って その場をやり過ごすこともある

なぜなら 
共感してもらうことが 難しい人に 
なんとか理解してもらおうと 骨を折ったとしても 
捻挫くらいで 済んでいたのが 
結果骨折して 全治3か月なんてオチになるのだから・・・

ここぞという時には もちろん
「しっかり意見を述べる」ことは するが
戦っても 仕方のない場面では 鈍感でいることが大事だとも思うのだ

世間から無意識のレッテル」が 降り注がれた時も
そつなくやり過ごす 鈍感力というものを 身につけたいと思って
日々 生きているのである


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