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人生2度目の鬱の話
2度目の鬱は、当時私が34歳頃に少しづつ始まった。
その頃は保険外交員の仕事をしていました。
入社当初からそこそこ成績も良く、いずれは新人さん達の育成リーダー候補として先輩方から応援して頂いていました。
でも、正直、その責任を負う事に自信はありませんでした。
発達障害の長女とまだ未就学児の子どもを抱え、仕事が終わって家に帰ってからは戦争のような毎日。
育成リーダーになったら今以上に帰りが遅くなるのかも?って思ったら、とてもじゃないけど自信がなかった。だけど、期待に応えたい自分もいて、ものすごい葛藤をしている時期でした。
そんな時、夕食後にお皿を洗っているとふらっと目眩で倒れそうになってびっくりする。
そんなことが何度かありました。
この感覚…
ものすごく嫌な思い出が蘇りました。
初めて鬱になった時と同じ感覚。
ゾッとしました。
「いやいや…今は鬱になってる暇なんてないんだよ。鬱なんて暇な人がなるものでしょ!」
って、戦争のような休む暇もない日々の中、自分に言い聞かせていました。
そんなこんなで1年踏ん張り、どうにもこうにも仕事にも支障が出るようになってしまい、友人に教えて貰った心療内科に泣きながら電話をしたのでした。
もう限界だった。
お願いだから今すぐ助けて欲しい。
ずっと踏ん張っていた心の叫びがその一本の電話で溢れてしまった。
それくらい限界になるまで私は我慢してしまっていたのでした。
この辺の詳細は別マガジン「母よ 強くあれ」に記載してあります。
中1~中2くらいの記事に書いてあるかなと思います。
結果的に、鬱であることを自分で認めなかった期間を含め、4年ほどの鬱との長い戦いの日々。
精神安定剤も色々飲みました。
抗うつ剤も色々試し、副作用がキツくて食事が一切取れなくなったこともありました。
料理を見るだけで気持ち悪い。
料理番組、お店のメニュー全部ダメ。
買い物も行けなくて、ヨシケイを頼んでいた時期もありました。
メニューが決まっていて、食材も毎日届く。
やたら豆腐料理が多くて、子ども達は飽きていたけど、頼るしかなかった。
そんな日々が続いていました。
初めて鬱になった時、なかなか断薬出来なかったのが、睡眠導入剤。
寝れなくなるのが怖かった。
だから、二度目の鬱の時は睡眠導入剤は貰いませんでした。
心療内科に通い始めた時はそんなに長く闇の日々を送るとは思っていなかった私でした。
薬に関してはだいぶ詳しくなっていました。
今はだいぶ忘れちゃったけど…
別マガジンに記載していて重複してしまうので大雑把にしかここでは書いていません。
4年戦い、どうにか寛解することが出来ました。
でもね、これだけ長い間鬱を経験すると、記憶障害のようなものもあって、覚えたことをすぐ忘れてしまったり、言葉がなかなか出てこなかったり…
それは今も私を悩ませてくれます。
あれから3年。
結局また心療内科のお世話になってしまっている。
そのお話しは長くなるのでまた次回…(´+ω+`)
最後まで読んでいただきありがとうございます☆頂いたサポートは子ども達の笑顔のために大切に使わせて頂きます(*^^*)心からの感謝をあなたに…...♪*゚