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日々の何気ない出来事を共有できる幸せを

わたしは一人暮らし歴が10年くらいある。学生時代の最初こそ、深夜にコンビニに自由に行ける背徳感のようなものを感じ、すごく楽しかった。でも次第に寂しくなっていった。

友達の家に泊まりに行ったり、当時付き合っていた彼氏と半同棲のようなことをしたり。シェアハウスを探したこともあったが、当時はメジャーではなく、結局4年間一人暮らしだった。

社会人になってからは超激務、家は寝るために帰るだけだった。ただ、家に帰っても、真っ暗な肌寒い空間が広がっていた。寂しかった。心にぽかんと穴が開いたような気持ちだった。

わたしはどちらかというと1人が好きだし、誰かとずっと一緒にいることが苦手だ。でも、なんでこんなに寂しさを感じていたのか。当時はそれが分からなかったが、最近気がついた。

たぶん何気ない日常を誰かと共有する時間が欲しかったのだ。


◇ ◇ ◇


オーストラリアにいる時に、半年ほどシェアハウスで暮らしていた。入れ替わりもあったけど、日本人2-3人、韓国人2-3人、台湾人1-2人で構成されていたシェアメイト。

みんなオーストリアにいる目的も、年齢も、今やっていることもバラバラだ。でも、同じ空間に住んでいるだけで、家族のような存在になった。

家に帰ってくる時に聞こえる「おかえりー!」という声に、当時どれだけ元気をもらえたか分からない。

「今日はこんなことがあったんだ」

誰かが話を始める。英語と日本語と韓国語が混ざった会話でも、すごく楽しかった。私たちは間違いなくファミリーだった。


◇ ◇ ◇


結婚すると、幸せだと定義されることが多い。わたしは結婚したことがないから、想像に過ぎないけど、もしかしから幸せのひとつは、何気ない毎日の出来事を共有できる人がいるからではないだろうか。


今はゲストハウスのような所に滞在している。そこで出会ったシェアメイトとは、毎日その日の出来事について話をする。

嬉しかったこと、楽しかったこと、失敗したこと、些細なことを話したり聞いたり。本当に何気ない会話なのに、元気をもらえたり、癒されたりするのだ。

はじめは何でも話してしまうから、わたしは彼女に甘えていると思っていた。

でもシェアメイトは、そんな何気ない話を聞けるのが嬉しいと言ってくれた。

日々の出来事を共有できること、そんな存在がいることが、こんなに尊いことだなんて。実家で生活していたら、当たり前で気がつかなかった。

わたしは結婚もしていないし、なんなら彼氏もいないけど、家族のような存在が身近にいる。だから胸を張ってこう言えるんだ。

今、すっごく幸せだー!と。

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