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自然を畏れ敬い、共に生きる

1995年1月17日、午前5時47分
小学校低学年だった私は、猛烈な縦揺れで目が覚めた。一緒に寝ていた母が無意識に私を庇う。「あ、これが母性本能か」と子供ながらに思う。

朝起きて周りを見回すと、棚の中にあった、ありとあらゆる物が飛び散っている。タンスは倒れ、壁には無数のヒビがはいっている。家の塀は崩れていた。

淡路島ながら、私の家は被害が少なかった。その後、テレビで神戸がすごい状態になっていることを知る。

阪神淡路大震災、あれから昨日で25年経った。改めて、あの時のことを思い出す。人間は自然にはかなわない。災害の多いこの国は、無情ながら受け入れて、共に歩む他ない。


◇ ◇ ◇

日本のように災害が多い国がネパールだ。2015年4月25日、ネパール北部で起こった大地震。死者は8963人、被害はネパール以外にもインドやブータン、チベット自治区にも及んだ。

ネパール三大トレイルのひとつ、ランタントレイル。世界一美しい谷と称されるランタン谷は、今でも地震の爪痕を残す。現地のネパール人と、トレッキング中のハイカーの多くが、ここで命を落とした。

大規模な雪崩と地滑りは、街ごと飲み込み、ランタンの街は跡形もなく消えてしまった。山岳地帯は重機を用いた救助作業ができず、今もなお、多くの人がこの地に眠っていると聞いた。

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今では、少し離れた所に、新しいランタンの街ができている。そこでゲストハウスを営む人々は毎朝、仏壇に向かってお祈りをしている。

◇ ◇ ◇

ランタン谷の後に歩いた、ゴサインクンド。この近くでゲストハウスをしているオーナーの娘、シェルパと仲良くなった。
彼女からネパール地震のことを沢山聞いた。家屋の崩壊、土砂崩れ、後回しにされる山岳地帯への物資。崩れた石の側で、1週間以上雨風を凌ぐ日々。通りがかったハイカーが、持っていたテントと食糧をくれたそうだ。

どうにもできない、ただ祈るしかない。生きるしかない。話を聞きながら、阪神淡路大震災のことを思い出し、思わず涙してしまった。

ネパールの人々も、私たち日本人と同じで、『自然に起こったことはどうしようもないこと』や、『明日何が起こるか分からない』という価値観をもっている。

シェルパとハグをする。

「私達はフレンドだよ」

彼女は涙ながらにそう言った。

◇ ◇ ◇

支援は人・モノ・お金、様々な方法がある。あと、風化させないことも、そのひとつだと思う。知ること、そして伝えること。だから今、ここに残しておきたい。


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