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老いてもなお、瞳の輝きは失せない

3年前愛犬が亡くなった。19歳と3ヶ月、人間でいうと確か108歳くらいだ。大往生である。

愛犬の名前はラッキー、ハスキーの雑種だ。彼女は生後2ヶ月で私たちの元にやってきた。その頃わたしは小学校5年生。私は人生の3分の2を、ラッキーと共に歩んだ。

◇ ◇ ◇

子供の頃の彼女は、やんちゃだが無茶できないタイプだった。

散歩中、首輪が抜けてしまったことが何回かある。リードから解放されて、嬉しそうに走り回る。慌てて私は追いかける。でもいくら走っても追いつかない。

「もういいや」追いかけるのを止めたら、彼女はおそるおそる私に近づく。また追いかけると逃げていく。その繰り返しだった。首輪がなくなり、気持ち良かったと思うけど、決してハメを外して遠くまでいかなかった。

私は兄弟がいないけど、この時「妹がいたらこんな感じなんだろうか」と思った記憶がある。

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それから時は経ち、ラッキーは10歳になった。人間でいうともう50歳。子供の頃のやんちゃさはなく、落ち着いている。

私は高校を卒業してから一人暮らしを始めたので、彼女と会う頻度は下がった。帰省の度に顔を出すと、眠たそうに「あら?帰ってきたの?」という表情をする。

その距離感はまるで親、母が2人いるみたいだった。

◇ ◇ ◇

ラッキーは全然病気をしなかったけど、年をとるにつれ脚が悪くなっていった。17歳から足をひきづるようになり、いよいよ歩けなくなった。ここから老犬の介護が始まった。

寝たきりの状態が続く。トイレも自分でできないのでオシメを付ける。床擦れにならないように、一定時間で身体の向きを変える。

そんな彼女は唯一、ご飯だけは自分の力で食べた。それは力強い食べっぷりだった。

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次実家に戻る時は、ラッキーはいないかもしれない。そう思って旅に出た。3ヶ月のフィリピン留学を終え実家に戻ってくると、彼女はまだ元気だった。

私はその時のラッキーの瞳を忘れることができない。寝たきりの状態でも、とても綺麗な澄んだ目をしていた。生の力がみなぎっていた。
「まだまだ生きるよ。」彼女の目が私にそう語りかけた。

◇ ◇ ◇

私は彼女の旅立ちの瞬間には立ち会えなかったけど、眠るような最期だったと聞いている。

2年にも及ぶ介護をした両親は、2人して号泣した。介護は大変ながらも癒しを沢山もらったと言っていた。

この世に生まれたものは、誰もが死が訪れる。両親も、そして私もどんどん老いていく。老いても、動けなくなってもなお、生きる力で溢れていたラッキーの瞳を忘れない。私も最期は、そんな瞳をしていたいと、切に思う。

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