踊りは、溢れる感情の副産物
歴だけ長い
でも、それだけ私に必要だった。
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私がダンスうまいと思えたのは、小学4年生の時だけでそれ以来下降し続けてる。
あの時をいつか超えられるんじゃないか、と
思いながら、踊り続けて10年目。
唐突につまらなくなって辞めた。
辞め時がわからなくてズルズル続けるんだろうなとか思ってたけれど、驚くほど未練なく辞めた。
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8歳。
ダンスを始めた頃、今ほどブームじゃなくてキラキラ系陽キャがやるものっていうよりは、社会からあぶれた人が集うディープな世界だった。ギャルママが子どもに習わせたい習い事1位みたいな感じで、私は友達に誘われてまんまとハマってしまった。(友達のお母さんはギャルママ)
13歳。
言葉を上手く操れなかったからこそ、自分を使って表現できることが楽しかった。嬉しかった。
イライラも、悲しみも、全部ぶつけられる世界で日常では出さない方がいいとされてる感情も踊りは許容してくれた。
私を見て、ここにいると爆発的に踊った。
思うように踊れなくて、泣きながら踊った。
声にならない怒りをぶつけた。
笑うことが恥ずかしかったのに、楽しすぎて声が出た。
沢山の感情の中で踊ることで、私を知ったんだ。
踊っている時だけ自分の気持ちに素直になれた。踊り出す5秒前まで気持ちがバラバラで色んなところに散らばっているのに、踊り始めた途端1つに集まってくるような気がした。不正解がない世界に、受け止めてくれる安心感を求めた。
語彙が足りなくて上手く話せなくて、恥ずかしがり屋で、内気な私のコミュニケーションツールだった。唯一の 。
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18歳。
踊ってる途中、もうダンスやめようと思った。
唐突だった。
そして翌月、やめた。
自分でも驚くほど潔くて、やめ時とはこういうことかと悟った。
20歳。
文化祭のために踊ってみようと思った。
身体の可動域は20%、それでも楽しければいいやって。
いや、誰かが踊っているの見たら悔しくなると思ったからかもしれない。
楽しいの知ってるから。
誰かに見つけてもらうために、感情を爆発させるためにやってた踊りも、気持ちが落ち着くにつれて自分に必要のないものに変わっていった。
その変化が寂しかったけど、上手く生きれるようになった証拠かもしれない。
今の踊りはエネルギッシュさに欠けてると思う。そこまで飢えてないから。
どこにもぶつけられない感情を踊りにぶつけていたあの時の踊りは、あの時にしか出来なかった。
苦しさも、時が経てば眩しいものだ。
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人に見せるための 踊り は慣れない。
あくまでも私にとっても踊りは、感情の副産物だったから。
直前までビビってた。目立つことは向いてない。
見られることも、自分について何か言われることも苦手だ。
それでも、踊ってよかったと思う。
楽しかった。
動画を見返すと驚くほど笑っていた。
カッコいいって言ってくれてありがとう。
(去年の11月に書いてたんだけど、その時は外に出すことを考えてなかったんだ。)
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P.s
「光を探すんじゃない、自分が光るんだ。」
2020年は踊ってる動画を月1で出したいと思ってます。踊りは私にとっての、武装だと気付いたから。
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