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自分軸の違和感

ブレない自分軸を持つより、大事なところだけはブレない芯のある人になりたいな。

※注意※
「自分軸」の言葉の違和感について、私の考えを述べています。少し批判的に見える部分もあるかもしれません。自分軸に反対する意見は苦手という方は、ここでページを戻ってください。




巷でよく見る「自分軸」という言葉に違和感。人に左右されずに自分で決めて、行動する意味があるらしい。←このまま言わないのはなぜなんだろう。

この自分軸って、自分を苦しめる人や物事に振り回されないようにしようってことなんだろうな。

何も考えずにみんなが使っているからという理由で、「自分軸」と言う人もいる。この場合、もうすでに他人が作った言葉に振り回されているけどいいのかな。「自分軸」と使うくらいなら、もっと言葉の意味や自分の考えに目を向けたい。

例えば、「芯がある」という言葉に言い換えるのはどうか。人はブレるものだけど、大事な部分だけは簡単に揺るがない。私はこの言葉をそういう風に捉えている。

「芯」の漢字が好きだ。草=根強い。心=自分の核(揺るがないもの)が、自分の体の真ん中を通っているイメージ。「芯」は”強い”や”ある”、で使われることが多いのもいいなと思う。

それに、「自分軸」という言葉が誰かを苦しめている気がする。

軸はブレてはいけないと思っている人もいそう。でも軸ってブレるものだと思う。自分だけの軸で生きることはできない。いろんな人の軸を見て影響を受けるし、お互いの軸が傾きすぎないように支え合って生きていると思う。

地球の軸だって傾いている。だから四季があり、植物が育ち、食料もあって、人間や動植物が生きやすいようになっている。

だとすると、人の軸もブレないなんて辛いのでは?

だから、自分がどうしても譲れないもの、大切にしたいものだけは守れるように「芯」を鍛えていく必要があると思った。

芯を鍛えるには、何はしたくないのか、何は許せないのかを考えないといけない。

勇気がいるけど、いたくない人と一緒にいるのをやめる。自分が思ってもないことはしない、言わない。そういうところから始めていかないといけないんだろうな。


さいごに。以前にも書いた、言葉の違和感シリーズ。


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