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「明日死ぬ」と思いながら生きる=毎日を丁寧に生きる

本屋大賞ノミネート作『ライオンのおやつ』を読んで、普段心がけていることをこのまま続けていこうと思った。本の感想ではなくて、『夏物語』と同じように自分の思いを言葉にしたもの。


「いつか、こうできたら…」、「また今度」が口癖だった。道路に落ちているゴミが飛んでいくのを眺めるみたいに、目の前のチャンスを見送る。掴めば良かったと後から思っても、同じチャンスは何度もやってこない。

先送りがモットーみたいになっていたけれど、母の死をキッカケに自分の人生を見直した。母は余命1年の宣告を受け、闘病から10ヶ月後に亡くなった。

彼女の人生がどんなものだったのか、幸せだったのか、不幸せだったのかも分からない。でも娘から見ると、母は自分が我慢してでも他人が幸せな方がいいように見えた。泣き言も、弱音も、人の悪口も言わない。微笑みを絶やさない、優しくも、悲しい人のように思った。まだ55歳だった母。きっと心残りなこと、やりたいこともあったはず。小さくなった遺骨からは、無念が伝わってくるようだった。

 明日死ぬとしたら、私は全てを先送りにする生き方をするのだろうか?

病気じゃなくても、交通事故や殺人事件…その他のことで死ぬかもしれない。人間はいつ死ぬか分からない。明日の保証なく生きてるのに、明日が絶対来ると思って寝起きしている全然、毎日を一生懸命生きていなかった。

 今死んだら 絶対 後悔する。極端やけど…明日死ぬと思って、毎日を生きてみよう。

そこから、何もかもが良い意味でどうでも良くなった。人をペットみたいに扱う家族、人からどう思われているのかとビクビクする自分、先の分からない未来もあるけど、まずは行動してみよう。状況が変わるのが怖いから色々考えてしまうけど、片足突っ込んでしまえば、なるようにしかならない。その結果、今の生活と自分を以前よりも好きになった。

明日死ぬと思って毎日を生きてみるのは、結局「毎日を丁寧に生きること」に繋がる。

自分を卑下する、誰かの粗探しをする、誰かと自分を比べる、「いつか」に期待することに多くの時間を費やしていると、毎日を満足に生きられない。(人間だからたまに心が乱れることもあるけどね)

それよりも心と体を労わるような美味しい食事、自然を見てキレイなって思う心、自分に一生懸命になること、たくさん笑うこと、大事な人たちの笑顔を一分一秒でも長く見つめていることに時間を費やしたい。

 何気ない毎日が、実は尊いものなんやなって思う。

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