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がちがち沖縄ひとり旅

もともとひきこもり気味の私は、おうち生活はもはや「体質」と言っていい。ステイホームが叫ばれる前から、休日の過ごし方はこんな感じだった。ただ、こういう暮らしをしていると、ふと、思い出す光景がある。25年近く前、大学の卒業旅行に行ったときのことだ。

「どこ行くー?」「どこでもいいよー?」的なやりとりに、当時の私は辟易していた。だから思い切って、沖縄へのひとり旅を計画。その決断には、幼いながら、こんな思いがあった。

都会にいると、あらゆるモノや便利があふれているから、まるで人の力を借りずとも、自分の力だけで何でもなんとかなるような気がしてしまう。友人たちと一緒にいると、何か起きたとき、友人同士で「どうするー?」「どうしようー?」って閉じこもるだけだ。けれど遠い土地へ、ひとりで降り立ってしまえば、どうしようもなく、人に力を借りざるを得ない。その、「知らない土地で、知らない人の力を借りる」を、やってみたい。ていうか、やらねば。人として、それを、やらねばならない!

当時の私は、がっちがちだった。憧れの地だった公設市場へ行ってみても、おにいさんが差し出してくれた島らっきょうを、「いいです、いいです」ってとっさに断ってしまう程度には緊張していた。そういえば私は「人に迷惑をかけてはいけない」「人の力を借りてはいけない」って言われて育ったんだった。誰かに何かを働きかけられると、条件反射で「いえ、いいです!」って言ってしまう。

当時は、ね。今の私は「いいんですかー?!」って、もらいっぱなしだけれども。

沖縄本島から石垣島に渡り、最初の夜は波照間島へ行った。そこで泊まった民宿は、夜な夜なひらかれる星空観察会で有名な宿だった。でも晩ごはんのときに、宿の人と宿泊客が言葉をかわしていたのを小耳に挟む。「今日は天気がいまいちだねえ」「うーん、今日は無理かもねえ……」。そうかあ、星空、無理かあ。残念。食事を終えて、部屋に入る。

夜遅く。持っていたノートに、その日の旅日記を書き付けていると、ふと、ドアの外でガタギシと、人が動き始めた気配があった。え、なんだろう。でも当時の私には、ドアを開ける勇気がなかった。うん、今書きながらびっくりしているけど、そうだ、あの時私は、ドアを開けるのが怖かったのだ。閉じたドアに耳をあて、やがてガタギシが静かになって、私は何の行動に移ることもなく、そのままお布団を敷いて、寝た。

翌朝。宿の人と宿泊客が交わす言葉で、ゆうべ、星空観測会が行われてたことを知る。……いや、ひょっとしたら私の聞き違いかもしれない。その会話に割り込んで「え、やったんですかー?」って確かめたわけではないから。

今の私は、平気で会話に割り込む図太さを手に入れた。というか、宿の人の会話を小耳に挟むまでもなく、宿に入った時点で「今夜、星空は見れますかー?」って聞きゃあいいんである。ドアに耳をあてて息を殺していた、あの頃の私が今はもどかしい。もどかしいのだけれど、

今も私は、あの頃の私の、気持ちがよくわかるのだ。

部屋の中は、自分である。自分の想定しえない事態が、起きることはほとんどない。したいことをして、考えたいことを考える。そのことに、私は大変くつろぐ。ゆるむ。けれど部屋から一歩出ると、自分の意思ではどうにもならない「他者」がうようよとあふれている。何が起こるかわからない。緊張する。ファイティングポーズをとる。

その沖縄旅は、日が経つにつれて、色を変えていった。さとうきび畑を歩いていたら、「その先はなにもないよー」って、通りかかった軽トラに拾われた。荷台に乗って見上げた青空を忘れない。沖縄本島では、タクシーの運転手さんと、戦争について話した。最後の夜には民宿で、たまたま一緒になった宿泊客たちと泡盛をぱかすか飲み倒した。当時は近藤真彦の『ミッドナイト・シャッフル』が流行っていて、酒を買い足しに出かけた商店街で「てんしのよーおなーー、あーくまのえーがおーー!」ってみんなで歌ってげらげら笑った。

楽しくなってくる頃、旅って終わるのだ。

そのことを、この頃、むやみに思い出す。ああ、旅がしたい。安全安心なこの部屋から、まるで知らない土地に飛び込みたい。知らない人と、何らかの拍子にげらげら笑いたい。あの旅が私に教えてくれたのだ。むしろ知らない土地でこそ、私は、ひとりではないのだと。(2020/05/19)


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