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ショート・ケーキ・ストーリー

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短編小説のまとめです
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ある秋の一日(創作)

ある秋の一日(創作)

 4つ折りにされた1万円札を差し出した母の指先は乾いていて、「これ、弘恵さんから」と言う声はその指先以上に乾いていた。何も言わずそれを受け取って、もう伯母さんも知っているのかとうんざりした。まだ安定期じゃないのだからあまり言わないでくれとあれほど言ったはずなのに。母親の口の軽さ、というかデリカシーの無さに懸念はあったものの、それでもなお唯一母親にだけは言おうと決めたのは悪阻が本当に辛かったから。2

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台風の日に(創作)

台風の日に(創作)

 「この季節になるとなぜかいつも無性に聴きたくなるバンド」そんな歌詞が出てくる曲があったな。雨が降ると無性に聴きたくなるバンドがある。その歌詞を歌うバンドとは違うけれど。台風が来るだなんて、知らなかった。私は何も知らないで、不動産屋に内覧の予約を入れた。管理会社に確認を取ってもらい、見に行きましょうということになった。引っ越しを、私は本当にするのだろうか。まだ雨は降らない。「明日はお天気が悪いとの

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水母(創作)

水母(創作)

 水が生きると書いてみおと読むその名前を羨ましいと思った。虫取り網を右手に持ち、シュノーケルマスクを装着し熱心に海面を覗き込む水生ちゃんはブラウンのギンガムチャックの水着を着ていて、正午の白い太陽はその丸められた背中を照し、水着の背中に誂えられた大きなリボンはまるで海辺を舞う蝶のようだった。薄水色の空は高く、引き裂いた綿飴のような鱗雲がどこまでも続いていた。鳶が一羽、大きな翼を広げてそれを横切って

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