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No.508 小黒恵子氏の紹介記事-74 (童謡 それは平和の祈り)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 様々な新聞記事等をご紹介しています。今回は、新聞に掲載された小黒恵子氏のコンサート紹介記事 をご紹介します。見出し、レイアウト異なるも、記事の内容は、昨日アップした「朝日新聞夕刊(大阪) 昭和61年8月28日」とほぼ同文です。

童謡 それは平和の祈り   作詞家・小黒さんのコンサート
自然の神秘、生の喜び 生物への愛満ちた詩


子どもたちの歌声は、そのまま平和への祈り。一人の童謡作詞家の作品ばかりを集めたコンサートが先ごろ、東京・青山劇場で開かれた。「鳩よ 国際平和年に祈りをこめて」と副題がついて。歌われ、踊られた小黒恵子さん(五八)作詞の四十曲には、「戦争」とか「核兵器」とかの言葉は一つも出てこない。だが、大勢の子どもや童心に戻った大人が高らかに歌った時、平和への願いが会場に広がり、千二百人の聴衆の中には涙を浮かべる人も多かった。小黒さんの童詩に自然の神秘、生きる喜び、生物への愛があふれているからだ。                                                       
                      (松井 覚進記者)
シツレイシマス
シツレイシマス
大きな声だし シツレイシ
とくいになってる 九官鳥
ぼくもやっぱり くせになり
じぶんの服を きるときに
ちょっと言っちゃう シツレイシマス    (宇野誠一郎・作曲)
  
サイガ・バレエ団員が若々しく、コミカルに踊った。小黒さんの処女出版は、この童詩から題名をとった「シツレイシマス」(昭和四十五年刊)だった。
「週刊新潮」の表紙を二十五年間書き続けた童画家の故谷内六郎氏のすすめで本にした。四十二歳、遅咲きのデビューだった。
この年、小黒さんは結婚した。披露宴の引き出物に、この「シツレイシマス」を添えた。結婚は五年ほどでご破算になった。
それからは幼いころと同じように、川崎市高津区諏訪にある約二千三百平方㍍の屋敷で犬やネコ、樹木や草花、昆虫を友に暮らし、童詩の世界に没入してきた。
  ドラキュラのうた
おいらはやぶっ蚊 吸血鬼
ブーンブーン
誰をねらうか うまそうだ
ゴクリなまつば わいてくる
ハダカのこどもに 突進だ
ドラドラキュッキュ ドラドラ
ドラドラキュッキュ ドラキュラ     (クニ河内・作曲)
   
広い庭にはやぶ蚊がたくさんいる。犬の血も吸う。小さなドラキュラだ。奇抜な発想、ユーモラスな言葉の繰り返しは、小黒さんの童詩の特徴である。
ある日、デパートでチャボのつがいを買ってきた。だが、いつまでたってもコケコッコーと鳴かない。
   ぼくんちのチャボ
ぼくんちのチャボって 変なとり
にわとりだから ニワトリ語
毎日練習 しているけど
いつになっても おぼえない
けっけ ころっけ ころっけ けっこう
コロッケ けっこう
コロッケ けっこう     (三枝成章・作曲)
   
詩を生みだす小黒さんは、苦行の日々だ。「こういう風にしたら」と思いつくと、夜中でも飛び起きる。ジグソー・パズルがぴたりと決まる・・・・そういう時が来るまで何回も書き直す。
詩人で作家でもある清岡卓行さんは、小黒作品を「大人が全力をふるって、しかしその苦心のあとはきれいに消して、うまく仕上げた童詩」と評している。
小黒さんは八月生まれ。「なんとなく爆発する季節」の夏が大好きである。」昭和五十四年のアフリカ取材旅行も夏だった。
  マサイの少年
もこもこもこもこもこ 羊をひきつれ
のびのびあるく はだしの少年
ゆらゆらゆらゆら もえてる 陽炎(かげろう)
角笛ならして のんびりと
もくもくもくもく のびのびのびのび
マサイの少年          (高木東六・作曲)
   
小黒さんは中央大学法学部の卒業である。戦後、農地改革で農地を失った両親が「これからは法律を知らなければ」と、一人っ子に法律を学ばせた。だが、小黒さんの適性は別のところにあった。
幼いころの春、多摩川の堤から見渡すと、桃の花のピンクと菜の花の黄色が鮮やかにコントラストをなして広がっていた。一人っ子だから動物たちと遊んでいた。そういう昔の光景が、時折、夢に戻ってくるという。
小黒作品は自然に親しんだ幼児体験と現在の生活の結晶である。
コンサートには、四つの児童合唱団、バレエ団、大場照子さん、小鳩くるみさん、田中星児さんらが出演した。フィナーレには、作曲者の高木東六さんも加わり、全員で「鳩よ(平和の祈り)」の大合唱。
   鳩よ(平和の祈り)
鳩よ 鳩よ あなたは美しい
翼みなぎる 希望をのせて
ひろがるよ愛の輪が 世界の友に
平和の幸せ 未来(あす)に伝えて
飛ぶよ飛ぶ飛ぶ 飛ぶよ飛ぶ飛ぶ
天使のように
飛ぶよ飛ぶ飛ぶ 飛ぶよ飛ぶ飛ぶ
美しい鳩           (高木東六・作曲)
    
聴いている子どもたちの目に涙がうかんでいた。
いま、小黒さんの手元には、感動をつづった子どもたちの手紙や絵がぞくぞく届いている。

朝日新聞夕刊(東京) 昭和61年(1986年)8月28日

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、1986(昭和61)年の紹介記事をご紹介します。(S)

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