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エッセイのご紹介414 ひがん花の咲く頃(小黒恵子著)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 今までは、神奈川新聞のリレーエッセイをご紹介してきましたが、今回は、神奈川新聞のサンデーブレイクに掲載されたエッセイをご紹介いたします。

 記念館には、自筆の原稿が残っており、ここでは、原稿の方をご紹介します。実際の記事は、校正を重ね、少し異なっています。
 詩人の書いたエッセイ、独特の言葉選び等を感じていただけると幸いです。

エッセイ タイトル一覧(小黒恵子自筆の原稿より)

「ひがん花の咲く頃」
                     詩人・童謡作家 小黒恵子

 秋のお彼岸が近づくと、庭に黄緑のひがん花の花茎がつんつんと生えてくる。
 わが家のひがん花は十三年程前に、多摩川の土手から満開の株を、幾つか私が移植し増やしたものだ。
 その時家族になったばかりのシーズーの子犬が、ひがん花の土手の傾斜を毛糸玉のように転げて走っていた。その犬も今では走ることもなく、机に向かう私の側に一日中寝ている。
 その頃私は日本画を習っていた。ひがん花を何枚か描いてみたが、花弁の難しさは忘れ難い。
 そして昭和五十七年の夏、ロイヤルサロン銀座画廊にて一週間、世界自然保護基金(WWF)チャリティー展を開催した。
 私の日本画を主として、元上野動物園長の故古賀忠道氏をはじめ故林寿郎園長、当時の浅倉繁春園長、作曲家の髙木東六先生等の賛助出品を賜り、純益を一一四万円寄付する事ができた。
これを皮切りに私のWWF運動がはじまり現在に至っている。
 ひがん花と言えば、宮城のお濠の土手に咲くひがん花の美しさは格別だ。
特に三宅坂から桜田門にかけて、お濠の水を通して眺める松の緑と、ひがん花の緋の群落のコントラストはすばらしい。
私はこの季節に日本音楽著作権協会の評議員会がある時、いつも首都高速の霞ヶ関インターを出て、お濠のひがん花の美しさを満喫して、西新橋の協会へと向かう。それが私の楽しみの一つとなっている。

1993(平成5)年9月19日 神奈川新聞サンデーブレイク掲載の原稿

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回も、小黒恵子の神奈川新聞のサンデーブレイク原稿をご紹介します。(S)

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