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大人になっても僕たちは、部活動を求めている。嫌なことでも、誰かと一緒なら案外たのしいんじゃない?◆新自由主義と貧困(上)【週刊スラムvol.100】

週刊スラムは読書サークル三ツ星スラムの機関紙として、スラム内トピックスをお届けしております。




大預言を読む


○大預言とは?
ぷろおごと伊予柑が古典を消化して対話をし、
『大預言』を生みだそう!という企画

伊予柑
…人類補完計画を企む悪いおとな
ぷろおごとは数年の付き合いがある


こちらは下記の対談を加筆編集したものです。


自由を履き違えると、不幸になるよね(意訳)



各個人のやりたいことや好きなことがなくなると、社会は停滞していく?!


伊予柑:はい、木曜の読書会。今日のテーマは新自由主義と貧困です。かたいテーマだ

ぷろおご:おれがパパ活おじさんのはなしをしたせいです

伊予柑:新自由主義というのは経済がめっちゃまわると、みんなハッピーになるよねっていうホリエモンみたいな世界観の話で、それぞれがひとりひとり自己実現しようよみたいな話。平成の価値観です


ぷろおご「この草って食えるんですか?」
伊予柑「桜餅の草、食えます」
わかる。桜餅の草とか柏餅の草とか、いつもコレ食えたっけ?とおもう



伊予柑:新自由主義というのは終わりつつあって、なぜかというと日本の人口が減ってるからです。つまり、人口が減るから経済成長しない。どうしようもない

ぷろおご:村になっていく。ツイッターでもそういうのありましたね、地方の人が最近都内から地方にくるんだけど、うちの村ではこういうのを意識してください、みたいな。すごく丁寧にやさしく真実が書かれた文書がすごくTwitterで反響を・・・



伊予柑:「都会風を吹かせないでください」とか


ぷろおご:真実では?すごくやさしい団体では?とおもっちゃった。なんか新自由主義ではないというか、そういう文脈で怒られてましたね

伊予柑:今までの西洋哲学とか基本的なものの考え方ってすべて、社会はだんだんよくなっていく、成長していくっていう前提があったんですよ

ぷろおご:まじで?すごいこと言いますね

伊予柑:これ、なくなったらどうすんの?っていう・・

ぷろおご:どうしますか

伊予柑:10代そこらの子はどうすんの?この先、経済成長しないけど




「…経済成長しない..ってコト…?」



伊予柑:経済成長しない都市の有名なところだと夕張の炭鉱とかで、経済成長しないとなると、まず若者は出ていくわけですよ

ぷろおご:おもしろくないもんね

伊予柑:おじいちゃんたちは残って、行政コストが地獄のようにあがり、すべてがツラい世界になっていくんですけど、でるとこがないんだよね

ぷろおご:どこに行きます?

伊予柑:どこに行こうかね、中国・・・?


ぷろおご:そこまでみんなそっちに行きたいのかな、国内に東京があったら東京に行くけどさ、国内に東京なかったら国内におらん?

伊予柑:5年、10年先、あまりにもなにもないところにいたいか?っていうと、心がツラいわけよ

ぷろおご:まあね。でもみんなおらんすか?

伊予柑:おるとは思いますが、

ぷろおご:東京ってもはや東京でないじゃないですか。みんなそれにうすうす気づいてるけど、東京にいません?

伊予柑:その嘘がいつバレるとおもいます?

ぷろおご:おれは結構バレてきてるとおもうんですけど


安価で買えるものがたくさんあると、お金の価値はさがっていく。それじゃあ、わたしだけのものをどうやって手に入れようか


伊予柑:最近お金の価値が落ちてきてるよねってあなたが言ってるじゃないですか

ぷろおご:売り場がない、店がないってことですよ

伊予柑:買うものがない


ぷろおご:いままでは億万長者になったら東京ですべてが手に入るとおもっていたわけじゃないですか。だからお金がほしかった。

でも、いまは100万円持っても、「おもしろいものがない」ってなるわけで、おもしろいお店がないのにお金を貯めても、買うことができない


伊予柑:俺たちが小学生のころは、もう1000円で喜んだわけですよ。お菓子買い放題じゃん!みたいな

ぷろおご:ちっちゃい子はいまだにお小遣いが欲しいじゃないですか

伊予柑:今の20歳が1万円でできることと20年前の20歳が1万円でできることは違うんですよね

ぷろおご:あまりにも安くいろんなものが手に入るもんね。映画に2000円払わなくていいじゃないですか

伊予柑:俺のころだったら1万円で、「これでゲームが買える…!」だった。今はゲーム無料なんで、

ぷろおご:買わないもんね

伊予柑:ガチャ払ってもねぇ、みたいな感じで

ぷろおご:ネトフリは全部見れるし、YouTubeなら無料で全部見れる、漫画も読める

伊予柑:みんな金ほしいって言うけど、ほんまか?



言われてみれば、お金はほしいけど
なにがほしいか?って聞かれたら答えにくいや…


ぷろおご:今の若い子の「金ほしい」は社会にでていくということを回避したいだけなの。みんな社会でツラそうじゃないですか

伊予柑:もちろん、15万とか20万は要るよ、生活していこうとしたらね


ぷろおご:そうそう、だからそれ以上ではないんですよね。細々と嫌じゃないことをやりながら鼻ほじりながら働いて、それでもお金は増えるわけで。そういうお金っていうのは大人になることを回避できるものみたいな、そういう認識ですよね。

お金はなにか欲しいものを買うためのものではなくなった得るためのものではなくて失わないためのものでしかなくなってるから、そりゃあ、お金に積極的になれるわけがないというか


売っているものしか買うことができない。というのは、不幸なのか?


伊予柑:うちは教員をやってる妹がいるんですけど、もともと学生時代に吹奏楽部にハマって音大に行って音楽の教師になったんですね。今は吹奏楽部の指導員をしていて、ブラック部活みたいに死ぬほどしごいてるんですよ。県大会行くぞウルァ!って。

で、妹は実家暮らしなんですけど、学校に行く、しばく、帰ってきて寝る、そんな生活をしてるんです。実家では母がメシを作るので、すべて全自動ででてくる。金を使うポイントが一個もない!

土日も吹奏楽部をプープーやっている。

すごい!俺よりもはるかに貯金が貯まっていく・・・
でも、妹にほしいものはなにひとつなくて、完全に満たされている

ぷろおご:誰もなにも言えない。美しい

伊予柑:自己実現として完璧すぎて

ぷろおご:そうなんだよね。自己実現するとお金が要らない。

おれもそうだけどさ、なんで一部の人がおれのことを「いいな〜」っていうかというと、お金があっても買えない体験を買いまくれるわけじゃないですか。むしろプラスで、お金をもらいながら


伊予柑:2万円ですしを



ぷろおご:あれの劣化版がキャバクラとか女風とか、Slackとかカウンセリングとかなんでもいいんだけど、誰でも一般の市場で買えるものですよね。

お金を用意して、最低限そのなかで規範を満たせば買える。だけど、人々は自分にしか買えないとおもえるものを買いたいから、たとえば恋人関係を結んだりするわけですよね。ほかの人には売ってくれないものをわたしは買うことができるとか、会員制だとか。

そういうものを提供されると嬉しいわけじゃないですか。でも、そういうところに行き着ける人って安く済むんですよね


伊予柑:そうなんですよ

ぷろおご:恋人関係はセックスタダじゃないですか。そういう意味でいうと、自己実現がなされていくと、お金がどんどん要らなくなってしまう。なんだが楽しくやってるとお金が集まってきてしまい、タンスには現金がいっぱいある、みたいな


神話の力が弱まると、貨幣はしばしば飽和する。そして、ゆたかな暮らしと貧しい暮らしは、どんな代価をいかほど支払っているかでわけられる


伊予柑:ほしいものは手に入ったから、金を使わないのは当然なんですけど、ほしいものが見つけられないという貧困はありますね


ぷろおご:あってもお金で買うものではないというのがありますよね。

ほしいもの・・・2パターンありますからね。ほんとうになにもほしいものがない人と、あるけど手に入っていて、それがお金かからない人。

金がかからない趣味がある人ってお金かからないですもんね。かけなきゃかけないでおもしろかったりするじゃないですか



伊予柑:ほしいものは準拠集団、参考にしてる人の価値観を受けつくんだよねという話があって。

準拠集団とは、自分が所属している集団、家族とか学校、参考にしてる集団、雑誌とかテレビとか、ツイッターとかのことです。つまり雑誌で女の子はこういうものを持ったほうがいいって煽られるとそのバッグ買っちゃうみたいな。

昔は、その準拠集団というのが雑誌とかテレビを媒介にして、人々の欲望をセッティングしていたわけですよね。それがネタバレされて、いろんな価値観が織り混ざった結果、なにを信じていいかわからなくなった。

そうして、ほしいものもわからなくなり、ふぇ〜んって


ぷろおご:結局それって、人間関係資本の欠落がわるい気がする。いままで、欲望のほとんどって誰かと同じものを持ちたい、とか、あの友達と仲良くなりたいからあの子が好きなものを持ちたいとか、みんなが行ってるディズニーランドに私も行かなきゃ、とかそういうものだったとおもうんですよ。

言ってしまえば、自分の身体的な欲望ってほとんどそんなに変わらないわけじゃないですか。お腹減ったとか寝たいとか性処理がしたいとか、動物的な欲求で、それがすごく変わっている人ってほぼいない。いたとしてもすごく限られた領域でしかないから、あんまり困らない。

友達と仲良くしたいとか、あの子達と〜、みたいな動機が多くの消費活動をもたらしていたけど、今はそもそも、そういう欲求が失われてるから、みんな友達がいないし、ほしいものもないんじゃないですかね。

今って、コレを持ったら誰かと友達になれる、とかあんまりないですよね。正確には、あるんだけど見えないじゃないですか。おれは意図的にいろんなものを買うんですけど、これを持つと友達になれる人が増えるモノはありますよ。

たとえば、最近だとカメラ。正直スマホのカメラでも撮れるし、もっと安くてので割りのいいものあるんだけど、2、30万かけて、自分がこのカメラを使えたらいいなっておもえたものを持ってると、そこを共有できる人とは友達になるんですよ。持ち物が、そういうものに興味がある人の目を惹くんですよね


伊予柑:腕時計とかもそうですよね


アイデアに金を注ぎ込むと、神話に代わる洞察力が養われる


ぷろおご:おこめたべおというひたすら人にご飯を奢られて生活しているよくわからない不思議な人がいるんですけど、きのう、おもしろいことを言っていて、

たべおスマホのカバーの中に遊戯王カードとちいかわのシールがあって、それが見えるかんじで机に置いてあったんですよ。そしたら、同席してたマナリス牛丼さんが「遊戯王カード!それやってるんですか?僕もやってて、」って話しかけてたんです。

なんで遊戯王カードとちいかわシーツをそこに入れてるのかというと、男は遊戯王カード見せておけばだいたい友達になれて、女はちいかわシールがあると勝手に話しかけきて、友達がふえるからと言ってて、それはまちがいない

伊予柑:合理的〜

ぷろおご:これを持ってると友達になれる、というものはあるんだけど、わかりづらくなっている。お金だけじゃなくてワンアイディアないと示せないよね


伊予柑:昔は野球を見てればよかったんですよ。

「巨人なんですよ〜、やっぱり」って言ってれば、居場所はあった。野球が弱くなってしまった。

つまり、テレビというわかりやすい話題設定装置が弱くなり、それぞれが分断されてしまったのでわざわざ、ひと工夫しないとつながれない


かけがえのなさは、ときに人を苦しめる


ぷろおご:代替できるという価値観が一般化したことで、人と人がつながりづらくなったんだとおもう。

人間関係を代替したいし、代替できるとおもうと安心するじゃないですか。それは誰かにフラれたり誰かと喧嘩をしたりすることへの恐怖だし、失いたくないものを失う痛みを回避したい欲求でもある。

あたりまえだけどそういうものを本能的に回避しようとするわけじゃないですか。で、今までは回避する方法が仲良くするとか、誠実に接するとかそういうものだったはずなんですよ。

実際、地方都市にいくと、みんなすごく誠実な男女関係を営んでいるんですよ。なんでかって、友達がラブホで働いているからなんです。

浮気しようものなら誰々があそこで浮気してたよってすぐ言われちゃう。だから誠実になるんですよ。それは言わば強制力で、バレてゴタゴタして人間関係含めてほかの人の信用を失うぐらいだったら誠実にできるわという、そういう強制力が働いているんですよね。

でも、東京だとパパ活で援交しようが、浮気しようが不倫しようが、わからんし、やりたい放題じゃないですか。

たとえば、ツイッターでできた友達なんて、こいつめんどくさっておもったら、ライン消してブロックしたらもう人生からいなくなるじゃないですか。殺してもいないのに。

そして、また新たにそういうやつを記号的に探すことができる。身長170cmぐらいで体重65キロでB型で、こういう仕事してる、みたいなやつ。似たような人物をほかで見つけられたらなんとなく代替できた気になるじゃん。関係性はちがうんだけど。

そういう勘違いが、人と人との関わり合いのなかで人々に強制する力をどんどん弱くさせて、その結果、みんな孤独になった。孤独になると趣味がなくなったり、誰かとつながりつづけるためになにかをする、というのがなくなる。

あの人は歌の映画が好きだって言っていたから、そろそろ見なきゃな、とかあるじゃないですか。あいつずっとおすすめしてるから見とくか、とか。野球あんま興味ないけどツレが野球好きだから今度応援行くんだよね、とか。

で、行ってみたらめっちゃおもろいやん!ってなったりするのが人間関係をもつことのはたらきだったわけで、それがないとお金も使いようがないし、使えないということになる。

そうすると労働とか、なんでもそうだけどなにかをし続けることにモチベーションもないし、いろいろ貧困になっていくわけですよ。貧困は代替性を求めた果てだなあとおもいますけどね


自由はたいがい恐ろしい


伊予柑:新自由主義というのは、名前の通りまさに、自由なんですよ

ぷろおご:自由を履き違えちゃったっていうのだとおもうんだよね

伊予柑:好きなことをして生きていく、なんですよ

ぷろおご:そんなものはよくない。だいたいの人は好きなことで生きたらだめなんですよ

伊予柑:そうなんですよね

ぷろおご:好きなこと、ないじゃん

伊予柑:野球はべつに大して好きじゃなかった

ぷろおご:そうですよ。8割興味ないでしょ

伊予柑:職場にひとり野球狂いがいて、あいつに話を合わせないとめんどくせえから野球を見てたんだよね

ぷろおご:それで実際に行ってみたらたのしかったとかね。応援団のみんなと一緒に叫びたい。とかですよね。

飲みバーとかスポーツバーとか、同じ選手を応援してるやつとあの球よかったよね!って言いたい、というのが大きいですよ。そういうものが失われた世界でも、人間関係と関係なく純粋な趣味性に没頭できる人って、藤井聡太では?みたいな話だよね。「対戦相手はいなくてもいいんですよ」みたいな、美しい棋譜をみたいから仕方なく人間と指してますみたいなさ

伊予柑:神なんだよな

ぷろおご:あれはできないよ。超マッチョの激つよマンだけができる概念だとおもうんですよ



ひとりで、たのしめるやつに嫌なことなんてないのか?


伊予柑:今、大学2年生ぐらいをバイトで雇って、数人でチーム組ませてるんですけど、

ちょっと仕事が詰まってきたときに、「明日までにこれとこれとこれやらないとまじでまずいからやれよ!」と命令するみたいに指示したんです。で、大学生は「わかりました!って全部見積もり取り直します」って言って、10社くらいに連絡をし、1日5件ぐらいウェブ会議をして、見積もりを改善したエクセルをだしてきた。

そいつは徹夜したらしいんですけど、それがめっちゃたのしかったって言ってました。昭和みたいな労働で、終わったあとにサウナにゾロゾロ行くみたいなのがたのしいみんなでブラック労働をする、やらされるってたのしいんですね

ぷろおご:やっぱり、嫌なことを誰かと一緒にやって生きていくほうがたのしい説がある

伊予柑:ひとりだと嫌なことなんだけど

ぷろおご:なんでやりたくないのか、ひとりだからなんだよね。あなたがその職場でブラック労働したくないんじゃなくて、あなたが一緒に苦しんでくれる大切な人がいないから苦しいんじゃないの?って話であって

伊予柑:ハチワレくんがいればいいですよね



ハチワレさん「…えへへ」



ぷろおご:「どうしよう、ちいかわ…」って言ってくれないと。そうしたら、「できたね!」「ねッ!」ってなるじゃないですか。だから物語としてあまりに脆弱になっちゃったというか・・

伊予柑:ひとりになっちゃったからね



(つづく)


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とうとうvol.100いっちゃったよ。なんだかこわいね。

いつもお付き合いいただいている読者のみなさん、ラヴです。

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