あなたが孤独なのは、からだをなくしてしまったからです。人間を駆動させるのは乾杯でした◆虚しさとはなにか(上)【ぷろおご伊予柑の大預言】
鼎談:「ぷろおご×伊予柑の大預言」をアーカイブしています。
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今回はスペシャルゲストに素数量子さんをお招きしております。
こちらは鼎談を加筆編集したものです。
むなしさとはなにか?
素敵なひとときを送っているとき、ふと意識の水面に浮かびあがる泡のようなむなしさを知っていますか。あるひとはそれを孤独と呼び、またあるひとはさみしさと呼ぶそうです。
小さな泡がぷくぷくと意識の底から浮かびあがってきます。
「あ、いまなにかうかんだね」
「なんだろう」
「どこからきたんだろうね」
「わからない」
水面が揺れればぐにゃりぐんにゃりと自分の顔もたゆたいます。
水底からわいてくる小さな泡を待ちぶせるようにじっと水面を眺めていたその人は言いました。
「そういえば、わたしはどんな顔をしていたんだっけ」
今回お送りするのは、ぷろおごnoteシリーズ;むなしさについてです。
さみしさとむなしさのちがいを見つめると、孤独にも層があることがわかる
伊予柑:今回はぷろおごのnoteシリーズです。ぷろおごの人気記事をテーマにあれこれ聞いてみようという回です
ぷろおご:ニーチェ、居るのはつらいよの収録の後なので、これらの影響は色濃くでますよね
伊予柑:まず、ぷろおご先生に聞きたいのですが、むなしさとさみしさはどう違うんですか?さみしさのnoteはめっちゃ書いてるじゃん
ぷろおご:はいはい
伊予柑:むなしさって最近だとちょっとめずらしいタイトルですよね。でもむなしさとさみしさってだいたいおなじでは?みたいな気持ちがある
ぷろおご:ちょっとちがうニュアンスで使ってますね。そんなに雑に使っているわけじゃないので。
文章にだしてる時点で、読者は想定されてるじゃないですか。
さみしさっていうのはけっこう身体的なもの、社会的なものですね。つまり友達がいなくて誰かいてほしいとか、そういう欲求のようなもので、言葉にすると「誰か、いてほしい」かな。猫とか犬でもいい、なにかここにいてほしいっていうのがさみしさ。そのレイヤーの下というか、もうちょっと心よりなものがむなしさ
伊予柑:たとえば猫がいてさみしくないけどむなしいってありますよね
ぷろおご:そう。誰かいるのにむなしいこともあるじゃん。でも、さみしいっていうのは、「ここにいてほしいって言っても、もういるしなあ…」となる。さみしいよりさらに奥にある、根源的なものがむなしさかなとおもっていて
伊予柑:のれんに腕押しってむなしいじゃないですか。労力をかけたのにリターンがない
ぷろおご:フィードバックが感じられないときに、人はだいたいむなしさをかんじますね
伊予柑:お礼状に返事がないとか、ふつうにむなしいじゃん
ぷろおご:ライン既読無視されたりね
さみしさは解消されるために知覚されるのか?
ぷろおご:今回テーマの記事を書いたのは4/12
パパ活の話をしたからそのその勢いで書いたやつか。あんまり自分が書いたものを覚えてないんだけど、これはかなり『居るのはつらいよ』にも通ずる話ですよね。ケアっていうものはむなしさを埋めてくれるものではあるわけですよね
伊予柑:むなしさに向き合うにはまず認めること、存在を認めること、つぎに受け入れること。誰かに付き合ってもらったり欲情にまみれてもよいからむなしさを認め、受け入れようとあります
ぷろおご:さみしさは欲情にちかいんですよ。要はむなしさに名前をつけてるわけじゃないですか。なんかぽっかり穴があいていて、なんかやだなあ、なんか不快だなあ、さみしい。じゃあ人に会おう。これは欲情の扱い方ですよね。
「さみしい、人に会いたい」というときに、それが動きとしてできれば欲情は満たされる。むなしさのままではどうしようもなかったものが「〇〇したい」というかたちをとることで、一時的にでも本質的にでも消費、一旦なくすことができるようになるんですよね。
そういうふうにむなしさを忘れるため、あるいはなくすためのアプローチとして欲情を利用することができるとおもうんです。むなしさに一度名前をつける。
それはパパ活というパッケージでもいいし、たとえば「セックスがしたい」でもいいし、「女の子にチヤホヤされたい」でもよくて、「サークルに入って友達をたくさんつくりたい」でもいい。名づけるというひとつの決定をすると、むなしさが方向づけられるから解消されうる。
欲情にはめこむことによってむなしさを一度表面的にべつのものにして解消することもできるし、あるいはちゃんと趣味を通して友達をつくり、関係性を築いていけばだんだん秘めごとが共有されていくことでむなしさは薄れていくわけじゃないですか。秘めごとがなくならないかぎりはね。
そういう区分はありますね
からだが失われてしまうと、あなたはいなくなる
伊予柑:むなしさって物語の欠如じゃないですか?
ぷろおご:そうとも言えますよね。秘められないものがないというか、ひとりでいるっていうのは秘めようがないというか。ヴィトゲンシュタインみたいなかんじですけど、秘めるには秘められるあいだがないといけないというか
伊予柑:たとえば東大をでて、一部上場企業に勤めて給料もよく、お客様にもありがとうと言われているがむなしいって人いるじゃないですか。そういう人はこれ以上なにを満たせばいいの?
彼女もいる。でもむなしいって人がいるわけですよ。これはなんでだろうというと、なんか知らんが自分の物語がないのかなと思うんですよね。
他人に言われたこれがいいよねっていうものは全部得ている。これを僕は善と呼んでますけど、所属集団と準拠集団の価値観において重要とされているものは獲得している。つまり上場企業いいよね彼女いるのいいよね東大いいよね
ぷろおご:客観的なものですね
伊予柑:そう。ありがとうをもらってるいいよね。
物語というのは美、自分の身体的な欲求と社会が噛み合ったことだと思っていて、オレは結局こういう性格でこういうことを実はコツコツやりたい。でもこれはありがとうは言われないっていうような状態はありますよね。
ずっと数学を追求してたい。だけど、一部上場企業の仕事にはそこまで数学は要らなくて普通の問題解決だけでありがとうと言われてしまう。なんかむなしい、みたいな
ぷろおご:なるほどね。
ちょっと飛躍するかもしれないけど、いま、物語の欠如に関しておもうのは身体性が失われてるってことですね。
なにをするにしても同じことをしてても、たとえばデスクワークだったり、LINEだったりなんでもそうなんですけど、身体性が失われると体験ではなくなるから、記憶としての容量がかなり小さくなるんですよね。そうすると秘めごとの容量も減るわけで。
たとえばそうだな、リモートワークになって出社しなくなった人たちって身体性が失われてるわけじゃないですか。誰かと一緒に仕事をしてるはずなんだけど
伊予柑:そうね、成果をあげてたりするんだけど
ぷろおご:毎日同じ部屋に起きて、やるべきことをやって成果がでても、まあそういうゲームかってなってしまう。
だけど、出社して嫌な上司とかそれに同じように苦しんでる同僚とかがいて、そのなかで、「いやあ、今日大変だったね」とかって飲み会をしたりしなかったりしているときってむなしさがないはずなんですよ。
苦労して同じ成果だとしても、誰かと一緒にやっているとむなしさを感じにくいとおもうんですよね
なぜ忘我状態にあるうちは、むなしさを感じることはないのか?
伊予柑:今の話を僕の言葉で言い換えると、FIREした株式投資家がいて10億あります。でもこういうやつなぜかUberEatsやりがち問題なんですよね。自転車は一漕ぎ、500円。でも、お前の資産は10億円、意味なくない?みたいな。たぶんそのうちUberEatsにもむなしさを覚えるんですよ。
そのとき、さっきおっしゃったように乾杯があるほうがいい。つまり野球部が必要で、人間を駆動させるのは結局乾杯では?っていうのが今の俺の結論です。
乾杯っていうのは、デュルケームだと集合的沸騰っていう概念ですね。みんなでウェーイ!って言うこと、そういった動物的なもの、なにか仕事をして終わったね!イエーイ!かんぱーい!ハハハハっていう
ぷろおご:得られる刺激としてすごく大きいですよね
伊予柑:でも、飲み会にはなにもないという
ぷろおご:忘れちゃうような、でも言われたらそうそう、そうだったって思い出せるものがだいじだとおもっていて、それは秘めごとなんですよ。
だけど、体験してないものっていうのは想像だし、消えるわけじゃないですか。リモートワークになってみんな病んでいたけど、なんで病んでただろうと考えると記憶がないからだとおもう。
おなじことをおなじ時間にやってても身体で覚えるほうが早いですよね。いくら世界史を勉強しても世界の実感がわかないように、飛行機乗ってイタリアでもなんでもいいけど降りてみたら空気とか感じるものがあるわけじゃないですか。
で、2回目行ったら久しぶりに来たなあとおもうわけで。それはやっぱりどれだけ人間の身体の機能がハイスペックかっていうはなしになるよね。この感覚センサーを使わないでいると、それと比較したときのむなしさはある。
だから、むなしさは身体性の話かもしれないとおもった。身体性が失われると栄養素的には得られているはずのものでも、吸収されないというか、ん??ってなるよね
からだがあるから、わたしとあなたの区別ができるのか?
伊予柑:それこそパパ活で体を売ってるってのはむなしいという女性がいるとおもうんです。でも、これがもし3人チーム体制で同じベットで体を売っていたとしたら、だいぶむなしさが減るとおもうんですよ
ぷろおご:「倒したね!」みたいな
伊予柑:そう。あの客、最悪だったね!みたいな
ぷろおご:そういう意味で会社ってすごく優れた仕組みだよね。いくらやってることはブルシットでもそれを共有する人がいれば、そこで秘めごとになって、その人たちにとっては思い入れになって心になるわけじゃないですか。そういうふうにならないとむなしい。
で、さみしさっていうのはむなしさが欲情に転換したあとに起こるもの。なんかさみしい…人に会って埋めればいいや。ってできる。それでも、会ったとてやっぱりそれだけじゃ…っていうときもあるとおもうんですよね
伊予柑:東畑さんの『心はどこへ消えた?』っていう本のなかで、コロナ禍の病気の人を見ている話があるんですけど、コロナ禍になると、フロイトにおけるイドが超暴走するって書いてあるんですね
ぷろおご::心のひとつの区分ですよね
伊予柑:たとえば、上司にちょろっと怒られたことが影響して、会わないうちに自分のなかで上司がめちゃくちゃ肥大化してしまうというのがあるんですね。
その結果、次になにかしようというときに「お前はあのミスをしただろう〜!」って、統合失調症のように心のなかにいる架空の上司に怒られちゃうんです。これが実際の上司に会っていれば「あいつ遅刻してきたし、たいしたことねえな」とかってチューニングされるんですけど。
会わないで一回怒られると、「怒られたくない」「怒られたくないい!」って肥大化するゆえに、心を病んじゃうっていう事例を見ていて、これはあるなってなったんですよ
ぷろおご:そういうところになんかこう、むなしさみたいなのがありますよね。足りてるはずなのにぽっかりと穴が開いてるような気がする
伊予柑:つまりそれは身体性の欠如ですよね
ぷろおご:おれが人に会って体調良くなるみたいなののなかにも、名づけようとおもったらむなしさみたいのがあるんですよね。
自分のものはあまりむなしさとは呼ばないんですけど、そういうものは誰でも似たものがあるのかなとおもいますね。自分のなかになんか風が吹いてるのかもしれないし、ぽっかりと穴が開いちゃってる気もするし、なんだろうこれ、つぶれてるようなかんじもする
むなしさだけを限定して、取り除くことはできるのか?
伊予柑:大学生にお仕事をお願いしたりするんですけど、まじでブラック労働の方が好まれるんですよ。チームでブラック労働だとめっちゃ喜ばれる
ぷろおご:部活だね
伊予柑:「普通の時給がもらえれば十分っす!」ってかんじで、逆に時給が高かろうがなんだろうが、テレワークをひとりでやるとだいたい病むのよ
ぷろおご:そうだよね、わかるわ。結局人と関わるのが一番コスパいいですよね。脳死してとりあえずオフ会行こうとかのほうがやっぱり群れとしては優れているよね。陽気でウェーイってやつらも病んだりするんだけど比率としては明らかに差がある。ぜんぜんいないんですよね
伊予柑:野球部で病むやつけっこうレアなんで
ぷろおご:そうなの、レアなの。もちろんいるんだけど、よっぽどのストレスがかかってるとか、すごく優れてる選手だからゆえに孤独を抱えるみたいなことがあるじゃないですか
伊予柑:じゃあ自分がむなしいって気がついた人はどうしたらいいですかね
ぷろおご:それこそ自分が書いた話になるんだけど、むなしさはやっぱりちゃんとむなしいってことを認めないことには向かえないんですよ。むなしくないしって言ってると、結局変なところを改善しちゃう。そういうのがいちばん多い
伊予柑:むなしさを認められずに、とりあえずキャバクラに行くとか
ぷろおご:「いや、オレはべつに虚しいわけじゃないよ。」っていう
伊予柑:「オレ、ニーチェの超人だし」
ぷろおご:むなしさが続くとどっかでガタがくるんですよね
伊予柑:そうすると鞭打たれてる馬に「ああ!!なんてことを」って狂っていくんですね
(つづく)
◾️次回記事はこちら
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