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心を見失った人から壊れていく。壊れた人と失われてしまった心の秘密◆居るのはつらいよ(3)【ぷろおご伊予柑の大預言】



鼎談:「ぷろおご×伊予柑の大預言」をアーカイブします..


大預言を読む


○大預言とは?
ぷろおごと伊予柑が古典を消化して対話をし、
『大預言』を生みだそう!という企画

伊予柑
…人類補完計画を企む悪いおとな
ぷろおごとは数年の付き合いがある


今回はスペシャルゲストに素数量子さんをお招きしております。こちらは鼎談を加筆編集したものです。



◼️今回の課題図書


前回までの大預言


3回にわたって連載してきた、居るのはつらいよ編ですが、そろそろおしまいになります。

これまではケアについて、またケアとセラピーの違いについてさまざま例を交えて話してきました。今回はそれらの総括として、「心はどこにあるのか」について(上)をお送りします。

なにかが失われてしまったという喪失感は、あるときには痛みとなって、またあるときには激しい情動を伴って、私たちの内に目には見えないけれど、心というものがあったことを知らせます。厄介なことに心というものが自分の内にあったことを思いだすそのときにはすでに、心は失われてしまっていたり、あるいは損なわれてしまっているのです。

失われてしまったものを味わおうとするとき、舌は沈黙の重みに耐えられるのでしょうか。そんなお話です。



素数さん 伊予柑 ぷろおご

◾️前回記事はこちら




もしも、ニーチェの生きた時代にデイケアセンターがあったら?


伊予柑:『居るのはつらいよ』最終回です。

そろそろみなさん読んだと思うので、ネタバレしていこうと思います。

前回はニーチェの話でした。ニーチェは自分の問題を自分で解決できる人間が超人であるというふうに言っています。超人はある意味でケアを必要としていなくて、セラピー的なんですよね。それでニーチェはちいかわとかをバカにして、最終的に狂って死んでいったんですけど・・


ぷろおご:さっき、ニーチェの死に方をGPTに聞いたらでてきました

伊予柑:おお、ニーチェさんの



脳卒中と精神的な合併症のため亡くなりました。彼の最期の数年間は精神的な苦しみと混乱が続いていました。一般的には精神病は梅毒が原因とされていますが、他の病気が原因になることもあります。1889年から精神的衰弱がはじまり、ニーチェはイタリアのトリノで馬に鞭をうつ馬車の運転手を目撃し、その馬に駆け寄って抱きしめ泣き崩れるという事件が起こりました。これが崩壊のはじまりとされ、その後彼は家族や友人に混乱した手紙を送り続け、精神病院に入院することになります。そうしてニーチェは長い闘病生活を送って家族の世話になりながら、亡くなりました。

Chat GPT4

ぷろおご:美しい終わり方ですね


伊予柑:多分、その時デイケアセンターがあったら東畑先生のお世話になっていたと思うんですけど



心が目に見えるものだったら、わたしはわたしの心をまもることができるだろうか?


伊予柑:東畑先生はいくつか本を書いてるんですけど、『心はどこへ消えた』という本があって、これは週刊誌かのなんか連載をまとめたものなんです。

連載開始していきなりコロナになりまして、コロナから、人の動きとか自分のところに来る患者さんの話とかをしていくっていう内容なんですけど、終盤のところ、サビの部分で心はどこにあるんだろうかっていう問いがありまして。

東畑先生は、心は非公認の場所にあると言っているんです



ぷろおご:というと?


伊予柑:公でない場所。プライベートな場所ですね。彼は医者として心が乱れた人の相手をしてるんだけど、その過程で、どうやって公でない場所をつくるかが重要になるんです。でも、医者ってパブリックな存在なんですよ


ぷろおご:そうですね、誰でも行けてね


伊予柑:そう。そこには公の存在でありながら、プライベートを失ってしまった人に対してプライベートを提供しなきゃいけないっていう根本的な矛盾がある


ぷろおご:間違いない

伊予柑:今回はケアとはなにか。-公でない。とも言えるかなっていうのをちょっと話の発端にしようかなと

ぷろおご:なるほどね、公か。大きくでましたね


他人の心に触れることはできるのか?


伊予柑:あなたにメシを奢るのは基本、公ではない。言わないというものがあるし

ぷろおご:サシだしね

伊予柑:占い師も公じゃない。でも、医者に行くのは公なこと

ぷろおご:カルテに残るもんね

伊予柑:保険金もでるし

ぷろおご:薬をもらうための時間だからね。じゃあ、病院には心がないんですね

伊予柑:そうなりますね

ぷろおご:公だからね

伊予柑:心がないんですけど、って言って訪れた人にどうするっていう

ぷろおご:心ってなんなんですかね

伊予柑:Chat GPTに聞く?
ちょっとこれをご覧のみなさんにも考えてほしいんですけど、

ぷろおご:何的に聞く?心って何的だろう?


伊予柑:文脈をつくっていただいているあいだに、素数さんに訊きます。あなたの考える心とはなんでしょう

素数さん:私の考える心・・・
私は言語モデルなので心はわかりません

伊予柑:ずるーい

素数さん:しかし一般的に心と呼ばれているものには..

伊予柑:心ない答えだ



素数さん:たぶんあれなんでしょうね。そういった「心とはなんですか?」って聞かれたときに「心は気分とか感情だよ」って返すって、そのまんま心じゃないですか。だから説明が難しい言葉だなぁと思いますよね


ぷろおご:
「一般的に人間の感情や思考や意識、価値観を総称した概念です。」というはじまりからですね。Chat GPT4はわりと言い切ってくれますね。



宗教に救いがあるのは、心を預かってくれるから


ぷろおご:おれは心にも派閥があるとおもいますね。心理学者にきくと、「魂はあっても心はない気がする」とか返ってきたりするじゃないですか。だから心をなんとするかっていうところに心があるなあとおもいますね


伊予柑:ずるいなあ・・


ぷろおご:いろんな人がいるのとおなじように、いろんな心があるじゃないですか。自分の心はこういうものですっていうものが心そのものになる。

たとえば「言語モデルは〜」っていう人のなかには「いや、心なんてないですよ」って言うことを心としていると人がいるとおもうんですよね。そういう意味で、心はないという定義によって、心というものが明瞭になる。逆に、心は魂だって派閥もいるし、あるいは動物的本能のことを心だと言う人もいる。

自分の心の形成って、心をどう定義するかに影響を大きく受けるじゃないですか。かたちのないものだから。だから順番は逆で。逆っていうのもむずかしいんだけど、心をどういうふうに定義しているかによってその後の人生観の形成のされ方が変わっていくはずで



伊予柑:僕の言葉で翻訳すると、ぷろおごの考え方はかなり東畑さんに近いモデルだと思います。東畑さんは心とは物語である派なんですね。

心が壊れてしまった人はありもしない現実を見ながら同じ演劇を繰り返したりするんですね。お母さんを求めておままごとみたいなことをするとか。

たくさんの情報をどのように解釈して圧縮し、ものごとを理解していくかというのは人それぞれなんです。人間の心の機能としてそういうはたらきがなされている。つまり、情報をどう圧縮しますかっていうのは心だよねがおっしゃったことだと思うんですけど


ぷろおご:心っていうのはパッケージだとおもうんですよね。宗教とかは心を固定するための機能ですよね


伊予柑:そうです。陰謀論とかで全部トランプのせいって言われたりしてるんですけど、それも現実がめっちゃ複雑で、みんながそれぞれわけのわからないことを言っているなかで、全部トランプのせいみたいなわかりやすいパッケージにするってことなんですよ




ぷろおご:なにかに心を固定しないとしょうがないというか。

たとえば、自分の価値観で生きよう!みたいに、個人主義の文脈でニーチェの思想が扱われたとき、その場合に「自分の価値観」が意味しているのは、自分が感じるままにやりたいことやるとか、欲望にしたがって忠実にやるとかですよね。

それって、よく考えてみたらその自分の価値観って動物的本能のことでは?という解釈もできるわけじゃないですか。そうすると、たぶん心とは人間性である。の派閥が強いじゃないですかね、とくに今は。

おれのさいきんの感覚では、心は動物性とは離れてますね


伊予柑:俺は真逆で心とは動物であるっていう立場です


ぷろおご:そうすると腸とかがでてくる。腸内環境で気分は変わるし、やりたいことや食べたいもの、趣味も変わるよね。それは客観的な心ではあるとおもう。ただ、もっとこうなんだろうな、物語というか、そういうところに心がある気がする。今はね



身体を持ち寄って人と会うことで、起こる作用とはどのようなものか?



伊予柑:先日、女性に告白をされまして・・僕はゲイなので「あ、はい。」って感じで。彼女も俺がゲイであることを知っているんですけど、惚れたんで映画に行きましょうって、一緒に映画を観にいきました。

映画を観てるあいだ、手と手が触れあってたんですけど、彼女の身体状態が恋愛!ってなってるのがわかるんですよ


ぷろおご:男女関係


伊予柑:俺はべつに女の子に興味がないのでふつうに映画を見てたんですけど、手を通して向こうの身体状態がこっちに流れ込んでくるんです

ぷろおご:武術とおなじだからね。相手がボクシングポーズをとったらやっぱ自然とボクシングになりますよね


伊予柑:手が触れあってるだけなのに。これってミラーニューロンのおかげで、ミラーニューロンには相手と感情を一致させるという作用があって、興奮してる人がいると興奮する。あくびのやつがいるとあくびする。これは実験でも確認されているやつで、相手の感情が流れ込んでくる


ぷろおご:それはあるね


伊予柑:相手の感情が流れ込んでくると、勝手に心拍数が上がるんですよ。俺が女の子に興味がなくても向こうが興味があることにより、身体は無理やり興味をもたらされる。

映画の進行とともに時間が経つと、相手もだんだん落ち着いてきて、俺の心もおなじように落ち着いていく。面白い。これが心なのかと



人は心を持ってうまれてくるのか?


ぷろおご:そうですね、たしかにね。一般的にそれは心と呼ばれている。
区分がむずかしいですね。おれはけっこう本能的なところを差っ引いて計算しちゃうんですよ。そのうえで、ちょっとした残りのカスが見えてるというか。それは物語性だったり文脈だったりする。

動物はあんまり文脈を気にしないじゃないですか。兄弟とかもわからないし、お母さんっていう存在も正直そんなに強くない。ただたんに見慣れた個体っていうだけで。

人間は文脈性とか関係性とか蓄積されていくものがあって、そこにあるものは心に近いなあとおもう。デイケアとかはそれを提供する人じゃないですか。サービスというよりは関係性を提供してますよね


ぷろおご:僕は自分の状態から動物的なものを差っ引いたときになにか残っているものを見つけたら嬉しいですね。これは春だからだなあとか、ちょっとうつ気味だからとか、そういう動物的なバイオサイクルのようなものがあるじゃないですか。
動物的な部分を差し引いたときに、残っているものって、ただおれのなかに処理ができなかったからそのままになっているだけなんだけど、見つけられるとたのしいよね。心であろうがなかろうがダークマターのような、宇宙を満たしているよくわからない99%のなにかみたいな


伊予柑:人間は動物で動く割合が相当数あり・・


ぷろおご:だからおれからすると心みたいなものはほんとに、顕微鏡で見てるようなものなんですよ。目には見えないし、パッとわかるものじゃない。顕微鏡のレンズで覗いて表面を視線でなぞりながら、なにかを見つける。「お、なにかある?動いているかもしれない。」みたいに


伊予柑:動物では説明できないごく一部の部分ですよね。これをあなたは心と呼んでいる

ぷろおご:そう、拡大しているだけで

伊予柑:俺は動物性で動いている部分が心じゃないの?と言ってる派閥なんですよ

ぷろおご:社会的にみんなが言ってるのは、そっちの解釈だとおもうんですよね



愛が執着であるときに、心とはわたしの存在の証明である


伊予柑:素数さんはどっち派閥ですか?

素数さん:いやぁ、深すぎて・・・

伊予柑:自分ではどちらを心と呼んでいますか?


素数さん:よくいわれているもので心の階層モデルとかありますよね。フロイトの深層心理とか表層意識とか、そういうものをトータルで心と呼んでいるのかなと思ってたので、自分の場合はどっちの派にちかいのかなぁ。

ニーチェを読んだときに、ニーチェがブッダのことを生理学者だって言ってるのがすごく印象に残っていて、

なんでかっていうと仏教の思想って、基本的に他人への嫉妬をなくすとか人と比べないみたいなこと言ってるんだけれど、人に対する劣等感とか嫉妬って生理的なものであるから、生理的な機能を減らすための教えである以上、あれは宗教じゃなくて生理学だっていってるんです。

そうして、仏教的な教えをどんどんやっていった先に最後に残るのはなんなんだろうっていうのがすごく気になっていて。それこそ今の話でいう動物的じゃない最後の残りカスなのかな〜とは思いましたね


ぷろおご:おれとちかいね

素数さん:自分はそこが気になってるというところでもあります


ぷろおご:早速、GPTにフロイトは心をどう定義していますか?ってきいてみた。

イド・エゴ・スーパーエゴにわけました。イド、これは無意識の領域で、本能的な部分、性欲だったり基本的な欲求を満たそうと……

ぷろおご:イドはたぶんいまでいう動物性の部分ですね

エゴは意識的な思考、意思決定を担当する。現実的な状況に応じて、イドの欲求を適切な形でコントロールするために働きます。現実に対応しながらイドとスーパーエゴの欲求とバランスを…

ぷろおご:エゴは調整するものですね。


伊予柑:よくある心、たぶん一般的な心じゃないですか

スーパーエゴは倫理や道徳、社会的な価値観を代表するもの。自己は自己の行動や欲求を規制する。

ぷろおご:要はなにか生理的なものがあって、それを抑えたりするところがあるよね。これらすべてで心で、みたいな話



隠しごとができないと嘘をついて隠しごとをつくったり、終わらない演劇を繰り返してしまうのか?



伊予柑:スーパーエゴは、ハビトゥスっていうとスラムの人はより分かりやすいかもしれない。うまれてから教育で培われた常識というのものがハビトゥスで、たとえばインド人は左手は不浄であるっていう思い込みがある。

日本人には家に入るには靴を脱がなきゃいけないという思い込みみたいなのが埋め込まれていて、埋め込まれた思い込みは制約をもたらすわけですね。親に教えられたこととか、そういったものごとの積み重ねで自分の行動はできている

素数さん:ハビトゥスは呪いみたいなもの?

伊予柑:そうです。ただ、まったくそれがないとただの動物になってしまう

素数さん:なるほど

ぷろおご:おれはそこがだいすきなんですよ。すきだからある程度の情報量で見えるんですよね。生理的なものを差っ引いたところになにかがあるように見えると、なあに、それ?っていう。

そこになにか隠してない?ちょっとジャンプしてみて。って


伊予柑:ひどい

ぷろおご:おれは人の心を見たいんですよね。心というものを自分の感覚で心と定義をするなら

伊予柑:ハビトゥスは通ってきた年輪、履歴、みたいなものですよね


ぷろおご:そう、個体性、物語なので



ぷろおご:言ってしまえば、生理的なものに関心がないからそこを差っ引きたいんですよね。なぜならそれは一般的な事象で、ただ物理学とか化学とかと遜色がなく、まあそうだよね、物理的に考えたらそういうふうになるよねってなるからで、

でもみんななにかしら生理的な反応にちょっとしたノイズがかかっていて、そこがおもしろいとおもうんですよね



伊予柑:ノイズがかかりすぎて壊れてしまった人がデイケアセンターに行く人ですよね



伊予柑:「じゃあ、どうやって壊れてしまったところを戻すの?」っていったときにプライベートにするしかないんですね。なぜなら公の領域では、その人は壊れてしまったプログラムに従って動いてしまうので

ぷろおご:なるほど


素数さん:ひらたくいってしまうと、隠しごとが持てるようになったら回復という

伊予柑:そうです。隠しごとのなかで回復していく


ぷろおご:むずかしいですよね。自分の秘められたところをオープンにすることで人々はつながっていて、だけど…っていう話ですよね

伊予柑:やっぱりセックスって便利な隠しごとですよね


ぷろおご:そうなんです。男女関係ってのはこの時代でも、-フェミニストとか、女だけで生きていけるとか、男も女のことを憎んでいるとかよく言われてるけど、

そんななかでもなんだかんだ失われないで、ずっとあるものだから。それ以上に便利なケアのアイテムってなかなかないんですよね。趣味は本人が後天的にやるものだし、生理的なレベルでみんな共有してたのしめるってなかなかほかにないですよね

(つづく)

◾️次回記事はこちら




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