いじめについて

なくそうとは考えてないです
それは人を否定することだから

なくすだなんて、こわいなあ

いじめる側からすると

人にどう思われようと関係ないんですよ

嫌われようと
嫌われなかろうと

やめてと言われてもやる
やめてと言わなくてもやる

では

やって、と言われたら?

あ、やらないかも
何か、つまらないので
とか言いつつやるかもですが

どっちでもイイ

何されても揺るがない自分でいること

それが最強かと思います

少し具体的に言うと
被イジメのエンタメ化
イジメを養分とするしくみ作り

…まだ抽象的ですかね

被害者のままでいるな

って話なんですよ

同じことし返してやりましょう

そういう時、僕はまず頭の中で復讐のシミュレーションをします

すると、気が済みまして、さらに
同じことしてもつまらないな
こんなショボい奴と同類になるのもシャクだな
と、なります

どうせ返すなら面白くやり返して
群衆、やじ馬、傍観者どもを沸かせてやりたくなるんです

すると生まれてくる相手への感謝

きっかけ(ネタ)をくれてありがとう
僕がヒーローになれる舞台を用意してくれてありがとう
踏み台お疲れ様

です

さらにその先

一方的で圧倒的な復讐は群衆を喜ばせるだけに過ぎないことに気づきます

相手への感謝を形にすることが大事

感謝という名の復讐にするんです

「許す」という最強の攻撃をするんです

次元の違いを体感させる

実際僕は怒りをあらわに攻撃してくる奴よりも
仏の様に許してくる人に恐怖や畏怖の念を感じます

目に見えてる怒りよりも
「この人が怒ったら一体どうなってしまうのか」
みたいな、未知、わからないことに、宇宙の広がりの様な底知れなさ、恐怖を感じます

だから「許し」を届けるデザインをします

キレイな花をプレゼントするとかね

サプライズって、人を喜ばせるだけでなく
恐怖を与えるのにも使えるんですよ

それはさておき

美術館デートしましょう

今、気になってるのは

・六本木クロッシング
・寺田倉庫
・東京国立近代美術館

です

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