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「冒険家」って仕事なんですか?

私は名刺に自分の肩書きとして「北極冒険家」と書いている。

初見で出会った人の9割は「冒険家って名刺始めてもらいました」とか「すごーい」とか驚いてくれる。

肩書きは、基本的には「他人のため」にあるものだと思っているので、自分のために名乗っているわけではない。自分一人で無人島にひっそり生きていたら、肩書きなんて必要ないだろう。だって名乗る相手がいないんだから。

名乗る相手がいるからこそ、肩書きが必要になる。つまり、肩書きは相手のためにあるものだ。この人はどんな人なのかな?と、素早く察知してもらうため。私は北極で冒険してるから、北極冒険家でいいや、という感じで名乗っている。別に、冒険家になりたいと思ったことは、今までで一度もない。今でもそう。

そうやって出会った人に「北極冒険家」と書かれた名刺を差し出すと、また多くの割合で「冒険家って、仕事なんですか?」とか「え?普段は何してるんですか?」と尋ねられる。気持ちは十分に分かるし、おそらく逆の立場でも私も問いただすことだろう。例えば、私がもっと分かりにくい横文字の肩書きで名乗って「ポーラーアドベンチャーイリュージョニスト」みたいな、よく分からん自称をすれば「これって、こういう仕事なんですか?」と聞きたくなるのは人情だ。

「冒険家って仕事なんですか?」と問われると、私は大抵、困る。そして、その質問に対してYesかNoで返すどんな答えをしても違和感が残る。つまり、その答えはYesでもNoでもないのだ。

こうやって、なんの構成も立てずに文章を書いていると思いついてくるのだが、「冒険家って仕事なんですか?」と聞かれる状況を思い返してみると、聞く側の心情などが見えてくる。

その質問を受ける時は、大抵が夜の飲み会とか、食事会で出会った人たちからのものであることに気付く。昼間に、スポンサー企業であるとか冒険や北極絡みの打ち合わせなどで出会った相手からは聞かれることはない。それがなぜかと考えれば、昼間に出会う人たちは、相手も「いま自分は仕事中であり、この冒険家も仕事中だ」という意識があるからだろう。一方で、夜の飲み会なんかでは「いま自分は仕事中ではない。冒険家?それって仕事なのか?」という疑問がわく、ということだろう。おぉ、我ながらいま急に思いついたこの説は説得力がある。

と考えてみると、なぜ私が「冒険家って仕事なんですか?」と問われて、その返答としてYesもNoも違和感が残るかと言えば、では「仕事」って何なのかという根本にある気がする。

つまり、昼間の「仕事中」に出会う人から質問が来ないのに、夜の「仕事外」の人たちから質問を受けるということは、その質問をする人たちにとっての「仕事」というのは、「仕事中」「仕事外」で分けられるものという観念があるということになるだろう。

いわゆる「定時」で仕事が終わって、プライベートな時間が待っている。とか。

仕事中の自分と、プライベートの自分は別の存在である。どこかの企業に勤めて営業の仕事をしているが、家に帰ると一児の父で、日曜日に趣味の草野球に参加したら3番サードの○○さん、といった具合に、仕事と仕事外が明確に分断されていたりする。

翻って、自分を省みてみるとどうであろうか。自分は北極を歩いていない日本にいるときも子供達と夏休みの旅を行ったり、最近では冒険研究所の活動をしたり、講演に行ったり誰かと会ったり、すべてが自分の生き方として存している。そこには「ここからこっちは仕事で、ここからは仕事外」という区分けがない。

「冒険家って仕事なんですか?」と聞かれる度、私は「まあ、仕事っちゃ仕事ですけど、そうじゃないと言えば仕事じゃないですし。でも趣味ってほど軽くもないけど、毎日仕事で毎日休みと言えばそうです」という訳のわからない返答しかしようがない。

ところが、日本語にはこの長ったらしい回りくどい返答を、一言で表現できる素晴らしい言葉がある。

それは「なりわい」である。

漢字で書けば「生業」。生きるための業(わざ)である。「わざ」と言ってもtechnic的な意味より一段深い気がする。

例えば江戸時代の農民を想像してみると(会った事はないから想像)、24時間365日が仕事中だと言えば仕事中だろう。日常において、仕事から解放されて「いまは仕事中じゃないよ」と言える時間はないだろう。大雨が降って田んぼの水を急に抜かなくてはならない!という時に「俺、さっき定時で上がったから」と言っていたら飢えて死んでしまう。

私の場合もかなり近い。今の時代でも、自然に寄り添って生きる人たちはおそらく同じだろう。動物や自然を相手にして仕事をしている人たちは、人間都合で動いていれば痛い目を見る事は必定だ。

つまり、私にとっての「北極冒険家」は、仕事というよりも「なりわい」であると考えると、すんなり腑に落ちてくる。

仕事となりわい

それにしても、かつての日本人(に限らず世界中)は、そんなにキッチリと「仕事」の内外を分けていたのだろうか?全員(は言い過ぎかもしれない)が「なりわい」で生きていたのではないだろうか。

いつから、仕事と生業は分かれ道を辿りはじめたのだろう。そのきっかけの一つは、共同体の解体と再構築にあるだろう。

日本の昔ながらの共同体は「協働共同体」である。

明治初期の日本人口は約3300万人。そのうちの3000万人がいわゆる農漁民だったという。そこでの生活スタイルは「みんなで協力して働く」という事だ。そのスタイルで、ずっと昔からやってきた。

屋根の茅を葺き替えるのも、田植えをするのも、お祭りをするのも、みんなでやらないと生きていけない。自動的に自分は「この共同体の一員である」ということを自覚し、所属していることが生きることになる。いわんや、所属していないと生きられない。日本人の所属意識や帰属意識が強いのは「協働共同体」のスタイルで生きてきたからだ。

そのスタイルが徐々に変化してきた。近代資本主義、工業化、近代国家、民主主義という荒波が西洋からもたらされた時、大波に駆逐されないためには日本も近代化の道を進み、都市化が進む。資本主義によってたくさんの会社が設立され、農村からやってきた若者たちはそこに所属していく。

戦後、高度成長期になぜ日本があれほどの速度で戦後復興を果たせたかという要因の一つには、日本古来の「協働共同体」システムを農村から都市に移し替えたことがあるだろう。

故郷を後にし、根無し草の若者は自分が寄って立つための「共同体」として企業に所属する。企業は「村の代替」だったのだ。近代資本主義の結果生まれた日本の企業も、内情は「農村スタイル」だったのではないだろうか。「顧客の新規開拓」なんて言葉に現れている。完全に「農地の新規開拓」ということだ。タネをまく、収穫する、年貢を払って、共同体の構成員で分配する。株主への配当を増やすくらいなら給料を上げろ!株主!?そんなものより家族である社員の方が大事だ!誰がその利益を上げたんだ!的な。申し訳ないが、近代資本主義的な考えのもとでは会社は社員のものではなく、株主のものなんです、と言っても、通用しない。農村に所有者はいないからだ。農民や社員は所有者ではなく、ただの占有者。

概して、日本の共同体は極めて内向きだ。よそはよそ、うちはうち。だからこそ、外に対して都合の悪い事は隠蔽するし、嘘もつく。そして誰も責任を取らない。「協働共同体」における主体は「みんな」たる「空気」であるので、誰も責任を取らない。どうやってそれが決まったのか?と問われても「みんなで決めた」「そうなった」としか言えない。

モーレツサラリーマンとして、農村システムの一員としてバリバリ働いてきたお父さんが、定年退職すると途端に生き甲斐を失い、熟年離婚して生活がすさんでいくのも、唯一の所属を失った人間の成れの果てだ。

お上の命令は絶対だ。官僚による「行政指導」の名の下の、社会主義国家かと見まごうばかりの市場介入は当たり前。お上からすれば、愚かな農村(会社)は指導してやらないとロクな収穫もあげられないだろうと、令和の今でも考えているらしい。潰れかけた農村を救うのはお上の使命として、バブルで好き放題やってぶっ飛びそうになった銀行も税金を投入して救ってやるし、市場から退場するべきダメ企業がいつまでも居座っていられるから、新興企業が育たない。

戦後以降の、日本の「仕事観」とは、大げさに言えばこんなところなのだろう。

私は決して、それがダメだ!と糾弾してるわけではない。日本はこのようにしてやってきたんだろう、ということを良い悪いを排除して書いているだけだ。

良い面は、農村スタイルの協働共同体は一方向への突破力は凄まじいだろう。明治近代化や戦後復興が良い例だ。ただ、方向転換はできないのが最大の問題点だ。空気の支配に任せて責任主体がいないから、方向転換するには大体の場合「外圧」に頼るしかない。元寇とか、キリスト教伝来とか、黒船来航とか、敗戦など。カルロス・ゴーンは完全なるザ・外圧だろう。というか、外圧に頼らなければ農地改革ができなかったのだろう。内発的な「革命」を経験してこなかった国の弱みがここにある。

仕事の話からあらぬ方向へ話が進んできたが、私は別に近代資本主義礼賛者ではない。というか、やはり、日本人には資本主義はあんまり合わないと思う。協働共同体の農村スタイルに始まる、社会ではなく「世間」に生きて「空気」に支配される日本人には、そろそろここらで新しいシステムを考える時ではないだろうか。社会主義や共産主義が良い、ということではなく、日本的資本主義のかたちは何なのだろうか。

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