冒険者は城壁の中より逃走し、帰還して語る
6年前の今日(1月5日)、無補給単独徒歩で南極点に着いた。
もう6年か、早いものだ。 その翌年2019年には若者たちとの北極行を行い、その後に世界はコロナウイルスに沈んだ。
そんなコロナ真っ最中の、2021年5月には事務所としていた神奈川県大和市の「冒険研究所」を書店として改装。
今日からは今年の書店営業を開始した。
そういえば、しばらく極地に行っていない。書店という新たな形の冒険をしているが、やはり心中では物理的な土地での冒険を希求している自分がいる。
社会の規範の中とは全く違う、自然の中で別の規範に身を則して生きていると、自分も一個の動物であることを強く自覚する。
最近読んでいるポール・ツヴァイクの言葉を借りるならば「みずからの内側で鳴り響く魔神的な呼びかけに応えて城壁をめぐらした都市から逃げ出す」ということだ。しかし、逃げ出して冒険をするだけでは片手落ちである。「冒険者は語ることのできる物語をひっさげて帰ってくる。社会からの彼の脱出は、社会化作用の強い行為なのである」
書店をなぜ始めたか、というのもこの後段の文脈につながってくるのであるが、これから自分がやるべきこともそこにあると思っている。
22歳で始めた極地冒険の世界だが、もう自分も46歳。そろそろ四半世紀を迎えるにあたり、自分がやるべきことがあるなと感じている。
若い頃は一人で全てやっていた。バイトして金を貯めては北極に行く。その繰り返しで経験を蓄積していった。その結果として北極点や南極点の挑戦を行い、いくつかの実績も挙げてきた。
が、そこではまだ「城壁からの逃走」でしかない。「語ることのできる物語」とは、自分にとっては何か?
日本に戻ってきて皆さんに冒険の話をするとか、写真展をやるとか、それは表面的なことでしかないと思っている。もっと根源的な「語ることのできる物語」を探している中で「書店」という形に一つそれを見出した。
だが、まだ不十分だ。物語とは、紡がれていくものであり、水平的(空間的)にも垂直的(時間的)にも広がりを持つものであるはずだ。
私が若い頃は、北極の村で出会う欧米の若い冒険家たちが社会からの後押しを受けているように見えた。一方で、自分はバイトしてひたすら自費で、情報も責任も全て自分持ちでやっていた。
それはそれで良かったのであるが、自分は手漕ぎボートで頑張っている横を、欧米の若い冒険家たちは社会という帆を張って、風を受けて進んでいるように感じた。
なぜ、日本では後押しが少ないのだろうか?それどころか、誰かが事故でも起こそうものなら逆風を吹かせることには一生懸命になる。
「城壁からの逃走」は反社会的な行為であり、その後に語られ紡がれていく物語にはなんの利益があるのか?と散々尋ねられる。
「それってあなたの自己満足ですよね」という冷笑も感じつつ、それはそれとして自分の信じる道を邁進してきた。
日本では、社会と距離を置いて「一人」で「道」を歩むことに価値を見出すことが多い。それはおそらく極めて仏教的な思想が強く影響を与えているようにも思う。
鈴木大拙は「日本的霊性」の中でこう書いている。
「霊性的直覚は、孤独性のものである。これが神道にない。神道に「開山」というべきもののないのはその故である。「開山」はどうしても超個己を個己の上に映した「一人(いちにん)」であるから、集団性を持ち能わぬ。集団は「一人」の「開山」をめぐりて集まりきたるものである。集団の上に一面に拡がっているものには中心がない。或る意味でそれは全体的であるが、この種の全体性は中心のない集合で、いわばただの群衆でしかない。」
なぜ仏教の開祖が「開山」するのか。京都や奈良のど真ん中ではなく、なぜ山に入るのか?これは「城壁からの脱出」なのであろうか?それとも、帰還した後の語ることのできる物語を紡ぐ場なのだろうか?もしかしたら、後者としてはじまった場が前者的に利用されていくことで「堕落」が起きるのかもしれないが。
いずれにしろ、そろそろ自分も自分なりの「開山」をするべきなのではないかと感じている。別に宗教を始めようという意味ではない笑
城壁から脱出し、反社会的な行為に身を染めて、社会に帰還した自分が「語ることのできる物語」それは、水平的垂直的に紡がれていく物語。若い頃に感じた、挑戦する人に対する無風の社会に風を起こすこと。それが、40代も後半戦に向かっていく自分がやるべきことの一つなのではないかと思っている。