見出し画像

北極冒険で使う装備を自分で作る理由

冒険研究所

昨年10月、神奈川県大和市に「冒険研究所」を設立した。

https://www.ogita-exp.com/adventure-lab/

ここは私の北極装備の保管場所でありながら、今後は冒険研究所で新しい装備開発などを行なっていくつもりである。来たい方は、誰でも見学できるようにしているので、希望の方はご連絡を。

これまで、私が北極や南極を歩くために、オリジナルのウェアやソリなどを作ってきた。これからは自分で使うものは極力自分で作っていこうと思うのだ。

なぜ自分で装備を作るか?それは、自分の行動に「主体性」を取り戻すために他ならない。

人間と野生動物

人間は裸では極めて弱い生き物である。だからこそ、道具を使い、社会性を築く戦略で生き残ってきた。衣類を身に纏うことで寒さを克服して、ロープを操ることで高さも克服してきた。

一方で、野生動物たちは自分の身体能力によって環境に淘汰されず、生き残ってきた。ある特定の環境下においては、裸の動物の方が裸の人間よりも遥かに生存能力は高いが、人間は知恵と道具によって裸の動物には生存不可能な宇宙空間までも生活可能にしている。

人間にとって道具というのは「便利」以前に「身を守るため」の物。これは、一人で極地を歩いていると分かる。

極地では「あると便利なもの」ではなく「無くてはならないもの」を持つのだ。ホッキョクグマにとって、長く強い体毛は「無くてはならないもの」であり、体毛をはじめとした身体能力を獲得したことで環境に淘汰されずに生きてきたと言える。

私にとっての極地での衣服は、ホッキョクグマにとっての体毛だ。共に身を守るために無くてはならないものだ。

道具を買う事

北極を歩くために、必要な衣類をどこかのアウトドアショップで購入したとする。今の衣類は機能的にも優れ、申し分のない高品質である。

ただ、どこか釈然としない。この、お金を出して購入した衣類は、誰がどこでどんな意図の元に作った物なのか?自分はまったく知らない。

無くてはならないものを金で購入し「身を守る」というのは、リスクマネジメントの基礎の主体性を他人に預けている気がどうしてもしてしまう。自分の身を守るために、皮膚の一枚上の空間を支配しているのは他人のアイデアであり、それを「金」で解決することは、自分は道具を使っているのか?使われているのか?甚だ疑問だ。

ホッキョクグマの体毛には、ホッキョクグマの主体性がある。

であれば、私自身の頭の中にあるアイデアを具現化し、衣類として自分の身を守る必要がある。これは、ホッキョクグマ自身の皮膚から生えてきた体毛に近付けるはずだ。

道具を作る理由

人間は長い間、自分で使う道具は自分で(もしくは自分の身近で)作ってきたはず。だからこそ、主体的な知恵も工夫も生まれてきた。

「道具は買うもの」という常識?が染み付いた大量生産大量消費社会にもう一度問い直してみたい。

道具を駆使して経験を積み、その末に知恵と工夫を身に付けることで、道具を手放すことにもつながる。道具を考えることは、やがて道具を手放すことになるということだ。

自分で道具を作るのは、道具を手放すためである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?