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テラハ事件を「お気持ちヤクザ」のオモチャにしてはいけない
テラハ事件については、取材はもちろん、中高生からも「どう思うか」といった質問をたくさん頂きました。都度、自分の考えをお伝えしてきたんですが、同時に事件後の動きにモヤモヤしていたんですね。
過去の投稿を慌てて削除する人、「私も傷ついた人です」界隈の盛り上がり、新ビジネス!と勢いづき大コケする弁護士先生……皆さん、人が亡くなった事件で何やってるんでしょうか?
ー北の国からー
世の中には「100%フィクション」のドラマですら、登場人物に本気で腹を立て、憎み、バッシングする人がいます。「あのドラマの『悪女』が許せない!」とカジュアルに脅迫状・カミソリを送りつける視聴者は昔からいたし、「北の国からの俳優は北海道に住んでいる」と無意識に思い込んでいた視聴者の話も、根っこは同じでしょう。
私たちはロボットではないので、感受性やリテラシーは人それぞれ、ピンキリ。当たり前ですよね。だからドラマに脅迫状を送っちゃうような人は今後も必ず現れます。そういう人々も存在する、これが私たちの社会です。
そこに「テラハ」みたいな、演出がバキバキに効きまくったドキュメンタリーを流し込めば、真に受けたおバカさんが過剰なバッシングに走るのは当然で、海外でも、やはり同じフォーマットの番組で自殺者が出ています。
ーテラハは何を見誤ったのかー
ネット以前、30年ほど前なら、テレビ局や芸能事務所は、過剰なバッシングからタレントを(ある程度は)守れました。当時のバッシングと言えば、大衆の代弁者を自認する「ゴシップ誌」や「夕刊紙」のそれ。スタッフやマネージャーが隠す、見せない、ウソの評判を吹き込む。そんなやり方でも何とか守れたのです。が……
スマホ・SNSで世界は一変します。隠す間もなく、皆が見ている中、著名人が暴言にさらされ、タレントが一般人とバトルする。そんな時代を迎えもう何年も経っているのに、制作サイドはネット"以前”の感覚のまま「演出」してしまった。その演出がピュアなおバカさん達の頭に突き刺さり、コントロールの効かないバッシングを巻き起こし、演者はそれに耐えられず……今回の悲劇が起きました。
ー演出はなくならないー
この事件を受け「ドキュメンタリー演出にはルールを」なんて言う人もいますが、ルールを設けたところで「一人でも多くの人に見てもらう」がその仕事の評価基準である限り、ルール破りのテクニックが必ず生み出されるでしょう。
実際、ダイエット器具や栄養剤の業界では、すでに『それ』が起きています。CMの「個人の感想です」という、免罪符になっていない免罪符。「眠眠打破」みたいなグレー過ぎるネーミング。いずれも業界が「薬機法のルールをギリギリまで攻めた」結果です
ルールを作っても、結局はそれを回避する工夫が生み出され、演出はステルス化する、つまり今よりもっと判りにくくなるのです。
視聴者のレベルはピンキリ、演出は無くならない。このどうにもならない状況に、私たちはどうすれば良いのでしょうか……?
ここからは「文字は読めるけど日本語が理解できない人」は読んじゃダメです。そうじゃない人だけGO!
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