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うつ病無収入アラサー女がnoteを始めた理由

「noteを始めよう」と思ったきっかけ


私が「noteを始めよう」と思ったきっかけは、いくつかあります。

  • 同じ病気で苦しんでいる人の”現在”を知りたかったから

  • 自分自身がnoteを読んで救われる時間があったから

  • noteは無駄な広告がなく、心に負担をかける情報を目にする可能性が低いから

  • 自分の考えを整理できるから

  • 暇つぶし

  • "繋がっている気持ち"になれる

ざっと思いつくのは、こんな感じです。
もう少し細かく書き綴ってみようと思います。

※以下、希死念慮や自殺に関する表記があります。ご注意ください※


同じ病気で苦しんでいる人の"現在"を知りたかったから

私の症状と頭の中

うつ病にも、人それぞれ、様々な症状がありますよね。
私の主な症状は
・不安や気分の落ち込みによる希死念慮
・不眠(入眠困難・中途覚醒・悪夢)
・食欲不振と過食嘔吐

が特にひどい状況でした。

通院を始めたのは、今から1ヶ月半ほど前のことです。

やれることも、やりたいこともない日々は、1日が、1秒が、地獄のような苦しみです。
身体は全く動かないのに、頭の中だけは自分vs自分の大討論会が延々と繰り広げられ続けます。
いろいろな考えを持った自分が好き勝手に話し出して、雰囲気としてはお喋り野郎ばかりが集まったエヴァのゼーレみたいな感じ。
でも話しているテンションは『そこまで言って委員会』です。

「もう死ぬしかない」
「生きてみるのは無理?」
「生きたって意味がない」
「悲しむ人がいるかもしれない」
「いても関係ない。どうせ死んだ後のことや、知ったこっちゃない」
「あー、マクド食べたい」
「死んだら周りに迷惑がかかるよ」
「だから知らないってそんなこと」
「人を悲しませてもいいの?」
「他人が私をこの苦しみから解放してくれるわけじゃない」
「夜マック食べようや。ポテトとナゲットを山盛り食べたい」
「金無いやろウーバー高いで」
「あ、割引クーポン出てるやん」
「生きる価値がない」
「薬を飲んだら治るかも」
「治療しても意味がない。治ったとしても、この辛い現実が変わるわけじゃない」
「時間が解決してくれる」
「その”時間”が苦しくてたまらん。一刻も早く、楽になりたい」

こんな考えが、目覚めた瞬間から眠りにつくまで、ずっと続きます。
ちょいちょいマクドナルドを求めるヤツが現れますが、基本的には生きていること・死ぬことへの自問自答です。
そして、このつらくて苦し過ぎる現実と感情から逃れ、一刻も早く楽になれる方法(私にとっては、=自殺の方法)を考え始めてしまうのです。
思考の無限ループを彷徨い続けるのは、本当につらいです。

何をどれだけ考え続けても「死にたい」という結論にしか至らない。
それ以外の答えには行き着かないんです。
(でもそれが、うつ病の症状の一つ、なんですよね)

なのに、死ねない。


私が知りたかったこと

どうにかしてそんな思考を逸らし、なんとか時間を潰すために、スマホで検索してみたりするんです。

「うつ病 治療」
「うつ病 治るのか」
「うつ病 闘病」
「うつ ブログ」

『とにかく休養!』『薬をきちんと飲みましょう』みたいなお利口さんな情報や、『私はこうしてうつ病を治しました』『うつ病体験者が語る○○』『うつ病○年目で通院しながら復職しました』的な情報は、私にとっては無意味でした。

「なんで治さないといけないの?」
「こんなにつらいのに、治るわけが無い」
「支えてくれる人がいるから治ったんでしょ」
「治ったとしても、私にできる仕事なんてないよ」

そうとしか思えませんでした。

また、症状が回復した人たちやカウンセラーを名乗る方々の意識高い系の発信も、苦しんでいる今の自分と比較してしまうばかりで虚しくなるばかりでした。

私が知りたかったのは
いま、現在、同じ苦しみの中にいる人たちの心の声と、戦いの状況だったのです。
闘病者たちの”過去”ではなく、リアルタイムな”いま”を。


私の現在地

よくうつ病の治療に関する、こういうグラフ見かけますよね。

2〜5月まではこれまでの自分の状態

自分で思うに、私はいま、ここ★にいるのだと思います
(お医者さん的には違うかもですが)
通院・投薬を始めて、一ヶ月半が経ちました。
症状は、最悪の時期を終えられた感覚で過ごす日が多いです。

「死にたい」
「死ななければ」
そんな気持ちだけで過ごす時間も、少なくなってきたように感じます。

私自身も思っていました。
「うつ病はこんなにつらいのに、SNSやブログで発信できる人は、治療に取り組んで効果が出た前向きな人だ」
「本当につらいなら、文章なんて書く気力なんてないはずだ」と。
いまこの記事を読んでくださっている方の中にも、同じように思っている方もいると思います。

そんなあなたに伝えたい。
その気持ち、めっちゃ分かるー!!

でもいま、私はこうしてnoteを書いています。

"書くこと"はできるんです。

私と同じような気持ちで、ネットの海と思考の無限ループの中を漂っている方に
「あー、こんなヤツもいるんだな」
「いまこの瞬間も、同じ苦しみを感じてる人もいるんだな」
とそんな風に感じてもらえたら。

はたまた
「こんなの症状が軽いヤツだよ」
と、嘲笑のように読み流してもらえても。

私の記事を読んでいる束の間の時間、読者の方が少しでも脳内ゼーレ会議から抜け出すことができたなら、私はそれで、幸せです。


自分自身がnoteを読んで救われる時間があったから

苦しみの思考に沈むしかない私にとって『いかにして日々の時間を潰すか』が重大問題でした。
前述のように、脳内で果てしない会議を続ける自分から少しでも遠ざかれる何かが、私には必要でした。

ドラマ・バラエティ・ニュース・映画・読書・ゲーム・YouTube・インスタ……
なーんも無理でした。
やりたいとも、思えません。やれるとも思えません。
いつどこに、うつ病発症の原因となった出来事がフラッシュバックするキッカケが転がっているか分からないからです。

でもWBCは見てました。
自分にとってスポーツ観戦は、フラッシュバックの危険性が比較的低い安全地帯だったし、普段は熱心な野球ファンではないですが、過去のWBCもその他スポーツの国際試合も見るのは好き(いわゆる"にわか")だったので、録画したWBCの日本戦を一日中ひたすら流していました。
繰り返し見すぎて、世界中の胡椒が尽きるんじゃねぇかってくらい、ヌートバーたちがミルりました。

そんな時です。ふと開いたTwitterにある記事が流れてきたのです。

かの有名な岸田奈美さんの投稿でした。
以前からTwitterでバズった記事が流れてくることが何度かあり、その度に目を通しては「この人はすげぇなー。おもろい文章書くなー」と思っていました。
そして久しぶりに、岸田さんの文章を読みました。なんかね、読めたんです。

ボロボロの心と身体だけど、岸田さんの文章は、なんか、読めた。

私は別に障害者やダウン症の方を積極的にサポートするマインドが強い人間でもないけど…読みやすくてポップな文体だということもあるのだろうけど……。
なんかね、読めたんです。するするーっと。
夏バテしてる時の素麺的な(基本的に年中食欲旺盛なので、実際はよく分からん)
有料公開の記事も含めて、これまでの記事をぜーんぶ読みました。

そしたら、めっちゃ時間が潰れた。

そして、その「時間が潰れた」というのが、何よりもの救いでした。


noteは無駄な広告がなく、心に負担をかける情報を目にする可能性が低いから

加えてnoteは、余計な広告を目にすることがありません。
読む記事の選択は自分でできるし、読んでいる途中に広告バナーや動画が出現することもありません。

恋人と別れ、無職無収入となってうつ病発症した私にとっては、YouTubeやインスタなど他媒体は危険です。

『転職なら○○』
『恋人さがしは○○』

いやもう、勘弁してくれよってなります。

それが、noteにはない。不意に現れる広告にびくびく怯えないで済みます。
精神衛生上、とてもいいです。

・自分自身がnoteを読んで救われる時間があったから
・noteは無駄な広告がなく、心に負担をかける情報を目にする可能性が低いから

これらがうつ病に関する記事を書くにあたり私が"note"を選んだ理由です。


自分の考えを整理できるから

前述の通り私の頭の中は、ずっとぐるぐると終わりのない自問自答に追われています。
1秒毎に考えがコロコロと変わり、一体自分は何に苦しみ、何を考え、どういう答えにどういう理由で行き着いたのか、全く整理がつかない状況になります。
こうして自分の思考を書き出すことで、答えのない問いだとしても、少しは気が紛れそうな気がします。

"答え"はでません。
1秒毎に変わるから、何が"自分の中の正解"なのかは、分からないままです。

でも、書き出していると。
グルグルとした思考の渦が『ある一点の方向に向かっている』感じになるんです。

"渦"から"流れ"に。

どんな方向に向かって流れていくのかは、わかりません。
上流に向かって流れる時もあれば、下流に向かって流れるようになる。

それでも"渦の中"にいるよりは"流れ"に身を任せている方が気が楽な気がするのです。


暇つぶし

そして何より、文章にすることは暇つぶしになります!

うつ病治療では『とにかく休むこと』と言われますが、休むって、めっちゃ難しいです。
何かをしていないと、時間は全然経ちません。

仕事をしていた頃は1日が経つのなんてあっという間でした。
すぐに1週間経って、やべ!全然仕事片付いてない!なんていう風な日常の繰り返しでしたが、今はもう、1日が長すぎる。

できることなら一日中眠って過ごしたいのですが、それも無理。
睡眠薬が飲める時間が来るまで、いかにして暇をつぶすかが大切です。


"繋がっている気持ち"になれる

テレビや映画を見ることができない私ですが、文章は書けます。
文章を通じてなら、誰かと繋がることができます。

昨日投稿した記事にも、最初の記事にも関わらずたくさんの方がスキを押してくれました。
コメントをくださった方もいました。

ほんまにめっちゃくちゃ嬉しかったです。
ありがとうございます。

うつ病者の投稿にスキやコメントをすることは、躊躇われる所もあると思います。
読者としての私自身もそうです。
決して明るく前向きな内容ではないのに、スキとかコメントとかしてもいいのかなっていつも悩みます。

けれど、書き手としての私は、スキもコメントも、めちゃくちゃ嬉しかったです。

人それぞれかもしれないけれど
『誰かと繋がっている』
『誰かに届いている』
その実感が私にとっては本当に力になりました。
久しぶりに「嬉しい」という感情になれた気がします。


そんな私がこのnoteで綴るのは、
「一人じゃないよ」って。
「こんなヤツもいるんだぜ」ってことです。

そしてこれは、リアルタイムの実験でその記録でもあります。

フリーランス独り身アラサー女で無収入。
そんな人間が、死ぬしかないと思ってギリギリまで落ちた人間が、うつ病とどのように付き合い、治療し、日々の生活をしていくのか。

はたまた、結局は死を選んでしまうのか。。。

どうなっていくんだろう。
自分でも全然分かりません。
でも、ちょっと楽しみでもあります。
どうなるんやろうなー。

こんな思いでnoteを始めました。
ごゆるりと、ご自身の体調やペースに合わせて、これからお付き合いいただけると嬉しいです。

「noteで稼ぎたい!」そんな想いで書き綴っているのでは決して無いのですが…。 なんせ無収入の現実です。。。 もしお気持ち・お心添えを頂けることがあるのなら、めっちゃ嬉しいです! 治療に向けての日々のため、大切に使わせて頂きます。