無職になりました

無職になって、4ヶ月が経つ。
正確には、フリーランスの常駐として入ってた職場を辞めて4ヶ月、
なんだかんだでいただいておった仕事がぷつりと途切れたのが、ここ2週間弱。
社会人になって15年以上、人生で初めて? ってくらいの長期の休みである。

仕事を探さなくちゃという気持ちは、常にあり、毎日、in●eedやら、リク●ビやらマ●ナビやらの求人サイト、あるいはフリーとして履歴書を送れそうな会社を勝手にピックアップして探したり見ていたりするが、体が全く動かない。

ここ数ヶ月で、やっとこ数日に一度、風呂に入ったり、散歩に出かけたりしだしたが、連日の暑さもあって、それもわずか数時間しか持たない。
だが、数ヶ月前は、風呂も外出も、家にいる時でさえも、常に誰かに監視されているようで怖かった。メールも恐怖が先立ち、確認することが苦痛だった(今も仕事のは苦しくなるけど)。それに比べると、やや前進、した、のか?

日中は、家にいても暑いので、クーラーの近くで小さくなって、ひたすらipadをいじったり、丸まって寝たり、あまり暑くない部屋の中央で細々と作業している(8畳ほどのワンルームなのだが、3辺が外に面しており、暑すぎるので居場所がない)。しかし、今年の暑さは常軌を逸してやがる。


それで、仕事しなくて良い(本当はよくないが、物理的にしょうがない)となったら、自分は何をやり始めるのかなと思い出したら、おもに自炊と人形作りだった。

自炊は、わかる。仕事をしている間は、ずっとコンビニ飯とかファミレスとかだった。たまに週末に鍋やるのがご馳走。味濃いけど、多分美味しんだろうなーと思って食べてたご飯たちが、懐かしい。
不思議なのは、料理の腕云々はともかくとして(どちらかというと料理は苦手だ)、自分で作ったご飯が、なんだこれ、うまい!って感じること。
炊飯器すらないので、鍋で米を炊くのだが、白米あるいは玄米だけでも延々と食べられそうなくらいには、おお。。。と日々、感動している。

あと、面倒くさいので、おかずは大体トマトで煮込んだ野菜とか、梅干しと和えた野菜とか、カレー味の野菜とか、ツナと炒めた野菜とかがメインなのだけど、まぁ、野菜すごいの感動。たぶん、「手間」と「自力」というのが、最大の調味料な気がする。
毎日、ウォーター(ヘレンケラー)状態。裏を返せば、こんな日常すらまともに送れてなかったのだ、ここ数年間はと、今更ながらに気がついた。


もうひとつ、人形作りである。
もう10年以上前、新卒で就職した会社で初めてもらったボーナスを、人形教室の学費に全てぶっ込んだ。でも、結局、会社から家にすら、まともな時間に帰れず、一体だけ、小さな女の子の人形を作ったところで教室も辞めることになり、ずっと、ああ、もう人形とかに関わっちゃいけないのかなと、モヤモヤしていて、気持ちを封印していた。

が、自由にしていいとなったら、やっぱりどうしても作りたくて、本とか道具とか動画とか必死に見て、少ない所持金でなんとか、人生2体目の人形を作ろうともがいています。

昔、夢の中に出てきた少年っぽいものになる予定です。しかし、粘土を練っても練っても、ちゃんとした「ヒトガタ」にならず。
ああ、なんて自分は不器用なのだ、無気力なのだ、と楽しさと情けなさが入り混じった不思議な感情で、毎日、暑い中、暗いアパートの一室で、粘土をこねくり回したり、削ったりを繰り返しています。

昨日、やっとこさ、仮の目を入れる作業まで行った(というか、進まなすぎて、無理矢理こじつけた)。目を入れてみた瞬間、これまで彫像でしかなかったような人形が、いきなり目覚めた気がした。何色かな、この位置がいいかな、と目を動かしていると、不意に虹彩がずれて白目がベロンと、切り取った目の形から見えて、ギョッとする。ああ、もう魂が入ったのだな、この子はと、これまでオブジェだった少年っぽいものに、急によそよそしさと恥じらいを感じる不思議な瞬間でした。

というわけで、これは忘備録です。
コンビニなどを除いては、もう数ヶ月、生身の人間と会話をしていないので、
言葉、や、他人、や、自分という存在そのものを忘れてしまいそう。

ああ、この日の自分はこうだった、確かにいたのか、この現世に、と客観的な記録を残しておきたいがために、たまにこうやって日々の徒然を書いて行こうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?