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10 or 0

これは私の性格からなのか、火星が蠍座たる要因なのか、「良い加減」がどうもうまくできない。「程よく、こなす」ということが、どうもうまくできない。

やるときはぐーっと集中して、深く掘り下げてしまうし、一生懸命、誠実に向き合えないのならば、いっそ関わりたくないという気持ちになる。

誰かの陰口を言うくらいなら、直接本人に話したいし、すぐ行動したくなる。心に芽生えたことを、心の中にしまっておくということができない。


そんな性分なので、子どものクラブ活動が連休中休みなしと言われると、休んではいけないと、まず思う。でも、休みも入れてクラブ活動以外のいろんな時間を過ごさせたいと、次に思う。そして、休みも入れながらの参加を選び、、、、、

ここからが、重要なのですが。

今まであれば、罪悪感から、体調不良以外は参加していた。何も考えず、それ以外の選択肢はないと言うマインドになっていたと思う。

でも、あるきっかけから、ふと、遠くから自分のことを見つめ直してみたとき、何かおかしいなと思った。それは「かすかな違和感」。無視することもできるくらい、いつもの自分だったら、気づくことすらなく日々のサイクルを回してしまう位の違和感。でも、それに、気づいた。

この違和感を無視したらいけないと、何かが私に知らせていると感じた。

与えられた環境を、変えることはできないかもしれない。私たちにできることは、何を選ぶかを決めること。

自分以外のものを責めたところで、何かが変わるわけじゃない。でも、ちがうと思うのならば、「どうすればよりハッピーなのかを、提案する」ことが「気づいた人」が「できること」なのだろう。

モヤモヤした気持ちに隠れている光の原石を、見落とさず、磨く。愛というクロスで磨く。そのことによって、指摘は愛あるものに変わり、攻撃にならず、結果自分だけではなく、みんなにとっての利益になり得る。モヤモヤちゃんも、生まれ出てよかったと思っていることでしょう。


今までだったら、10か0しか選べなかった。すぐそういう思考にいきがちだった。

今日、新しい選択肢を選ぼうとしている自分に気づくことができたと思う。

10でもなく0でもない。

自分以外の世界を責めるのではなく、自分の美学を責めるでもなく、自分を取り巻く環境に、自分がどう向き合うか、どこまで自分の心が喜ぶ選択肢を選べるか、自分の選択を肯定できるか、自分を認められるか、心の底から満足して納得した時間を過ごせるか、そういう世界の物差しで日常を選び取っていけたら、

同じ選択でも、きっと、全然ちがう。

胸が暖かくなる選択ができる。
いや、自分の選択に、胸が暖かくなる。



そういうものが積み重なったとしたら、自信を持った人生を歩めるんだろうな。

なんの疑問のなく選択肢を選び取れる、自分が自分を信じれる人生。


そういうことかもしれない。


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