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がけっぷちに、いる君へ。

 これは自律神経失調症とPMS (月経前症候群)を患う私の過去と現在を記したものです。原因不明と言われ続けたお先真っ暗状態から、ようやく取り戻しつつある健康に感謝しつつ、負の遺産ともいえる経験が誰かのお役に立てればと思い更新しています。

KeyWord
自律神経失調症/胃腸炎/気象病/PMS(月経前症候群)/PDSS(月経前不快気分障害)/卵巣嚢腫/子宮内膜症

 今週は実家のある淡路島で玉ねぎ収穫ウィークです。今朝は8時から畑で収穫作業。今年は天候が良かったこともあり豊作とのことで、形の良いお玉ねぎさんがゴロゴロ。作物を育てることと同じように、身体も育ててあげないとお粗末な身体になっちゃうなあ、なんて思いながら久々に心地いい汗を流しました。

お昼時とともに雨がぱらつき、午後はオフタイム。昨日から心配事がめばえ、悶々とした時間が流れています。

2ヶ月ぶりに会う友人とめっこり話し込んだ昨日。コツコツと成果を積んだ友人はその実績が認められ、4月から精鋭部隊へ異動。しかしその部署は人情のカケラもない、まるで理不尽の4次元空間にいるような部署だったのです。友人は身体をボロボロにしながら、日々を、一瞬一瞬を闘っていました。
持っている武器は良心と根性。上に登りつめようとすると良心が邪魔をし、かえって自らを刺してしまう。その空間で生き残る人は、人として大切な仁義を捨てた、人間の形をした化け物を連想させました。しかしその多くが、仁義を捨てざるを得なかった、人たちなのかもしれません。

友人は岐路に立っています。
このまま上を目指すか、他の道を目指すのか。

ストレスが原因としか思えないさまざまな不調を知り、身体を壊してまでする仕事はこの世のどこにもない、と求められてもいないのについ口からこぼれた言葉。気力だけで闘っていた過去、糸が切れて心身ともに壊れた過去、その感覚が生生しく私に蘇り、もし糸が切れてしまったら・・・とその先の闇を知る身として心配が募ります。

でも、なにかモヤモヤするのです。
その私の感じる心配ごころに。

周りから何を言われようが、何に触れようが、その人にとってそれは自身の経験ではなく単なる情報。だから、どんな情報にふれても、身体では理解できません。そして、人生の終わり、死の終着点まで視線をあげたとき、今の理不尽4次元空間とその空間の結末は、どんな結果になろうとも友人の価値観を築くうえで必要なプロセスかもしれない。

そう思うと、心配ごころからうまれるおせっかいは、ぐっとこらえないといけない、と思うのです。

適度なストレスのある空間は、しんどいながらも清々しさを感じます。
強烈なストレスのある空間は、身体的にも精神的にも削られ、息苦しさを感じます。


でも、そこまで追い込まれた時にしか、ふれることのできない価値観がある。極限でしか捨てられない価値観もある。揉まれて削られてそれでも残った芯は、これからの数十年をささえる骨格。そんな状況で頑張ることが良いとも悪いとも思いません。頑張ってしまうのも、回避するのも、ひとそれぞれもつ性質だから。けど決して、その骨格が歪んでしまわないでほしいと切に願わずにはいられません。

友人は歯を食いしばって見返すために成果を出しています。自分が納得するまで続けてしまうことでしょう。このままいけばもっと身体を壊すことでしょう。けど、こころだけは壊れてなくなってしまわないように、離れていてもそっと見守っていたいと思います。

納得いくまで見返し切れなくても、
その挫折は、よい深みと味わいのもとになる。

別段なにもできないけれど、脳がとろけるような深みのあるコーヒーを飲みながら、やわらかい海風につつまれながら、夕日を眺めましょう。
いつか清々しく笑えるその日まで

今日のひと作品。

海のふた(2004年)
著者 よしもとばなな
 読み終わったころには正常な五感が蘇る、そんな小説に感じます。舞台は海の綺麗な西伊豆。都会の喧騒に疲れ、地元に帰ってきた主人公まりと、身内のごたごたから心を閉ざしかけている少女はじめちゃんのひと夏の物語。地元の人たちや自然をとおして心の居場所、価値観にたどりつく姿をみると、おのずと、自分が大切にしたいものって?と問われているようでした。立ち止まって、歩いた軌跡を眺めたい時に、また読みたいなあと思います。


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