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恋愛小説、書けません。/Lesson22:「雑炊」

 インターホンが鳴る。熱で朦朧としているが、覚束おぼつかない足取りで部屋にあるモニターを確認する。

『耀介、大丈夫?』
「絢乃……。ちょっと待ってくれないか、解除するから」

 耀介はオートロックの解除ボタンを押す。
 暫くして玄関先のチャイムが鳴ったので鍵を開けると、グレーのコートを身に纏った絢乃が心配そうに耀介を見つめ立っていた。
「……入ってくれ」
「うん、お邪魔します」
 耀介は相変わらずの足取りで、リビングに絢乃を通す。
「病院は行った?」
「いや、今の時期は花粉症やら色んな感染症が病院に蔓延しているからな。それに俺はこんな状態だったから、かかりつけの医者に来て貰った」
「そう、それで?」
「風邪だ。注射を打たれて安静にしていれば二、三日で回復するだろうと」
「そう。こじらせたら大変だもんね」
 絢乃がそう言いながら、スーパーで買い物したであろうエコバッグをがさがさと揺らしている。
「絢乃」
「何?」
「その袋は何だ?」
「アンタさ、食事ちゃんと摂れてないでしょ。風邪には栄養! なので絢乃様が手料理を振舞います」
「……食えるものなのか?」
 病人の割に耀介は相変わらずであり、そして病人相手に絢乃も相変わらずのお返しをする。
「失礼ね! 一応お母さんの手伝いもしてるし、それなりに料理は出来るわよ!」
「分かった、あんまり近くで大声出さないでくれ……正直、辛い」
「ああ、ごめんごめん。ついいつもの癖が……それで雑炊とかなら食べられそう?」
「おばさん直伝のあの雑炊か?」
「そう。食べたいんじゃない?」
「……お前が忠実におばさんの味を再現してくれたらな」
「病人の癖に、本当に減らず口。まあいいわ、キッチン借りるわよ」
 そう言うなり、羽織っていたコートを脱いで、セミロングの髪を一つに纏める。
「その間は横になってなさいよ。そんなフラフラ状態見てたら、こっちが心配になるし、雑炊の味も保証出来ないわよ」
 確かにその通りだ、と耀介は寝室に戻った。

 キッチンから包丁の音が聞こえて来る。
 幼い頃たまに耀介が体調を崩した時、茅乃が作ってくれた雑炊は好物の一つだ。鶏出汁が効いていて、そして胃に優しい「おふくろの味」だと耀介は思っている。
 意外にも、いや意外ではないのだが……絢乃が料理している所を見た事がない耀介は、半分本気で「食えるものが出てくるのだろうか」と不安になる。包丁を両手で持ったりしていないだろうか、塩と砂糖を間違えないだろうか、茅乃に対して抱くものが「安心感」であれば、絢乃の場合は「危険」そのもの。
「できたわよ」の声に、耀介は緊張してしまう。絢乃がトレーに雑炊の入った鍋と器と蓮華を用意して耀介の寝室に入ってきた。
「お待たせ。はい、召し上がれ」
「では遠慮なく……頂きます」
 一口、ゆっくりと口へ運び、耀介は驚く。茅乃が作ってくれた雑炊の風味もするが、それとはまた異なる旨さが口内に広がる。
「旨いな……」
「でしょう?」
「おばさんの味も残っているが、また違う旨さだ」
 少しだけアレンジしてあるから、と言う絢乃の言葉を聞き、成程ちゃんとおばさんの手伝いはしているんだなと安心する。

「ねえ耀介」
 ベッドサイドの大きなクッションにもたれた絢乃が口を開く。
「……何だ?」
「病人に喋らせるのは私のポリシーに反するんだけどさ、話したい事があるの」
「話す分には問題無い」
「恋愛小説は耀介が感じた事を書けばいいと思うの」
「何だ、藪から棒に」
 いぶかしげに耀介が雑炊を運んでいた蓮華を止めると、真顔の絢乃が言葉を続ける。
「聞きなさい。恋愛未経験で初恋もまだの男が、大ベストセラーの恋愛小説なんて難しいのよ」
「しかし、木下さんに『それでも伊田滝登として書かなくてはいけない人間なんだ』と怒られたばかりだ」
 溜息交じりの耀介の言葉に、絢乃がぽつりと呟いた。
「アンタ、青木賞が欲しくて小説書いた?」
「え?」
「そうじゃないでしょう? 耀介は努力してるわよ。だからこそ去年のあの本、私は何も言わなかったし、寧ろ感動したぐらいよ」
「……書きたかったからな」
「確かに読者がいて、利益にならなくちゃ出版社もやっていけないわよ。でもね、今回は大冒険じゃない。得意ジャンルどころか未知の世界でしょ? だからこそ自由に書いた方がいい。素人意見で申し訳ないけど、そう思う」
「自由に……」

 今まで耀介は何を目標に小説を書いて来たのだろう。絢乃の言葉は実に的を射ていた。新しいチャレンジだからこそ「自由」にやればいいのだ。心の何処かで『伊田滝登』としてのステータスを守ろうとしていた自分がいたことに気付く。
「そうか……そうだった……」
「でも、今は治療に専念ね」
「ああ、そうだな」
 食欲は本当になかったが、茅乃の「娘が作った」雑炊が入った器は、あっという間に空になっていた。


Lesson23はこちらから↓

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