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恋愛小説、書けません。/Lesson29:「ずっと隣で」

 気が付けばお互いに外せない用事がない限り、土日を利用して絢乃が耀介の自宅にやって来る。バスルームには、女性物のシャンプーにコンディショナー、そして絢乃愛用のクレンジングクリームに基礎化粧品一式。
 クローゼットにはレディースのルームウェア。そして何故かワンピースが数枚。
 全て、耀介が恥ずかしがりながらも自分で購入したものだ。ワンピースは耀介が絢乃に着て貰いたいと思って購入したもので、それを渡すと絢乃は嬉しそうに耀介に抱きついてくれた。流石にランジェリーだけは絢乃任せだが。
 まるで「半同棲」、もしくは「通い妻」。しかし「あること」だけは別である。
 それは絢乃が泊まりに来る土曜の夜の恒例行事と化していた。

「何でそんなに嫌がるの!?」
「免疫がない人間に無茶を言うな!」

 深夜、耀介の寝室前で起こる論争。
 実は耀介、まだ一度も絢乃とベッドを共にしたことがない。いや、幼い頃はあったのかもしれないが、それはそれだ。
「恋人同士で、殆ど一緒に過ごしてんのに何で拒否するの!」
「仮にも一緒に眠って俺の理性が吹っ飛んでしまったら、おばさんに示しがつかないだろう!?」
「お母さんは別にどうも思っていないわよ! 耀介の家に泊まりに来てる段階で分かってる!」
「じゃあおじさんだ!」
「お父さんも放任! 私27歳なのよ!? 大人として見てくれてるわよ!」
「でも駄目だ駄目だ駄目だ! 嫁入り前の女性に手出しなんて出来ないだろう!」
「手を出すどころか、キスすらまだのカップルなんて中高生だけで十分よ!」
「親しき仲にも礼儀ありだ!」
「使い所が違う!」

 そして、言い合うと疲れる。毎度のことだ。そしてどちらからともなく

「ココア、飲もうか」

 一時休戦の合図だ。絢乃は絢乃なりに耀介が考えている事はお見通しで、律儀に守っている耀介を愛おしいと思う反面、正直れたいのにと拗ねる。耀介は耀介で絢乃を大切に思っているからこそ「下手な真似」はしたくない。

「ねえ」
 リビングのソファで隣同士、深夜の会話をする二人。マグカップは二人で選んだお揃いのものだ。
「何だ」
「耀介はいつになったら私と一緒の布団で眠ってくれるの?」
 その言葉に耀介が顔を真っ赤にする。
「それは……その、け、結婚とか……」
「何で噛むの」
「軽々しく言えることではないだろう!?」
「……そういう想像、したことある?」
 絢乃の口調が柔らかくなる。そういう時は耀介も素直に答えるように努めている。
「そりゃあな。こんな俺の隣にいてくれる女性だから」
「じゃあ婚約しちゃう?」
「何でそう簡単に言えるんだ!」
「私が耐えられなくなって、逃げても知らないんだから!」
 はあ、と耀介は溜息をく。
「このタイミングでそれを言うか……ちょっと待ってろ」
 そして一旦耀介はソファから立ち上がり、寝室へ向かう。
 絢乃はと言うと……耀介を怒らせてしまったのか、それとも放り出されてしまうのか不安になっていた。折角手に入れた初恋なのにと、俯いてココアの入ったマグを眺めると、寝室のドアが開く。
「正式じゃないからな」
「意味が分からな……」
 絢乃は言葉を止めた。耀介の手には、純白のサテンリボンが結ばれた小さな水色の箱。それが何であるかを察知した絢乃が狼狽うろたえる。耀介はリボンを解いて、箱から取り出す。
「お前は俺にとって必要な存在。その証だ」
「ちょ、ちょっとそれ反則!」
 しかし耀介は無言で絢乃の左手首を優しく掴み、薬指にそっとはめる。
「これで満足か?」
「耀介……」
 絢乃の左手薬指にはシンプルなプラチナのリング。サイズが分からなかったので一般女性のリングサイズを店員に頼んだものだが、絢乃の指のサイズと見事に一致していた。
「俺はこういうことには一切慣れていない。正直結婚も想像の域を越えていない。でも、絢乃の隣にずっといたいと思うのは駄目なのだろうか?」
 耀介が淡々と、だが真剣に気持ちを伝えると……絢乃の瞳から沢山の涙が頬を伝っていた。耀介はとんでもなく慌てて、近くにあったティッシュケースを引っ掴み、絢乃に渡す。
「どうして泣く!? 俺と一緒にいるのが嫌なら……」
「バッカじゃないの!? どうしてそうなるのよ!」
「お前、何で泣きながら怒るんだ!?」
「嬉しいからに決まってるでしょ! 本当に女心分かってない!」
 絢乃はそう叫んで耀介に抱きつく。女性特有の柔らかな身体が、耀介に安心感を与える。
「……そうやって抱き付いて来る絢乃が、俺は嬉しい」
 絢乃の耳元で素直な気持ちを囁く。すると絢乃は少しだけ身体を離し、耀介と見つめ合う体勢になる。至近距離、僅か10センチ。耀介が完全に固まると、絢乃がそのまま顔を逸らして、爆笑し始めた。
「ほ、本当にアンタって変に真面目過ぎる……」
「そこまで笑うことか!?」
「分かった。何だかんだ言っても、昔の耀介も、今の耀介も大切だから。私はこのままでいい。だけど……」
「な、何だ?」
 耀介が若干後退りする姿を見て、絢乃が妖しい笑みを浮かべる。
「私が我慢できなくなったら襲うから、覚悟しててよね」
「……はっ!?」
 耀介が顔を真っ赤にしている様を見て、絢乃が苦笑しながら「半分は冗談です」とフォローする。但し絢乃の心の中では半分「本心」だ。

 ココアが冷めないうちに、と二人が残りのココアを飲む。飲めばそれぞれ別の部屋で眠るのだが、耀介が残り一口で止めて絢乃の方を向く。
「絢乃、俺の思っていることを聞いて貰っていいか?」
「いいわよ?」
「今回、沢山の人に支えられて恋愛小説が書けた。一番の功労者は絢乃、お前だ。二番目は親父と木下さんだな」
「うん」
「菅原の家は勿論だが、篠塚家も俺にとって『大切な家族』だ。だからこそ、絢乃を悲しませるような事はしたくない。絢乃は俺にとって、ずっと前から家族なんだ」
「……うん、私も菅原家の人は昔から家族みたいだって思ってた。菅原パパ、凄く優しいし、格好いいし。侑介お兄ちゃんも大好きだし、それに……」
「それに?」
「それに、耀介が隣にいてくれるから、私は安心していられる」
 そう言って、絢乃は満足そうに耀介の肩にもたれ掛かる。
 耀介も絢乃と同じ気持ちだったので「俺もだ」と呟く。

「絢乃」
「何?」
「本当に、俺なんかでいいのか?」
「耀介がいいの」

 絢乃は肯定しながら、薬指のリングをそっと撫でる。

「俺も絢乃じゃないと嫌だなあ。柔らかいし」
 この発言で甘い気分に浸っていた絢乃が豹変する。
「はあ!?」
「え? 何か問題発言をしたのだろうか?」
「今、今、柔らかいって言った!」
 かなり絢乃が動揺している。いやらしい意味で言った訳ではないので耀介は淡々と答える。
「ああ、お前の頬。気持ち良いなと思った。腕とか身体もだが」
「ちょっと待って。頬はいつ触ったの、キスすらもしていないのに!」
 そこで耀介がしまった、と思う。そうだあの時は絢乃は眠っていた……!

「勝手に触るな!! バカ!」
 耀介の顔面にクッションが命中する。
 お前、触れたいとか触れるなとか言っていることが滅茶苦茶だぞ、と耀介は慌てて残りのココアを飲み干した。


Lesson30はこちらから↓

Lesson1はこちらから↓


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