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書籍【ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語】読了


https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/B0836QG8KJ

◎タイトル:ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語
◎著者: 立川談慶
◎出版社:サンマーク出版


「酒が人間をダメにするんじゃない。 人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ」とは立川談志氏の言葉だと言われているが、本書を読むと、この意味もさらに深く理解できる。
落語で描かれる世界は、成功者を称える話でもなければ、人生を好転するために努力すべしという指南話でもない。
あくまでも日常の世界を淡々と描いたものであって、それ以上でもそれ以下でもない。
だからこそ、深い。
人間とは所詮その程度だという前提で、人々の心情をリアルに描き出す。
欲をかいても、最後に上手くいくものではない。
逆に、運が悪い人生の中でも、最後はそこそこ丸く収まったりする。
そして、努力をしたからと言って、必ず報われる訳ではない。
落語の表現は、ある意味残酷と言える。
登場人物たちは、あくまでもどこにでもいる平凡な庶民。
つまり我々と同じ目線の人しか出てこない訳だ。
当然、英雄も成功者も誰一人出てこない。
だからこそ、落語で語られる人間の悲喜こもごもの話は、本当に現実味があるのだ。
「人間はそもそもダメな存在だ。落語はそれに気付かせてくれる」ということも談志氏が語った言葉だそうだが、こっちこそが本筋ではないか。
冒頭の酒のエピソードは、外伝としか思えない。
主はやはり小さな存在の人間と、それをリアルに描き出す落語という存在なのではないだろうか。
我々はついつい自分と他人を比較して、小さなプライドの中で生きている。
しかしながら、驕ったところでそんなことには全く価値がないということを、落語は気持ちよく笑い飛ばしてくれる。
人として生まれて、きちんと生活して、ダメなところも沢山あるけれど、それでも色々ありながら一生懸命生きていければそれでいい。
それが落語で描かれる真実であり、人間の生きる本質なのだと気付かせてくれる。
これこそ今風に言えばダイバーシティそのものではないか。
色々な人が居てそれでいい。
自然に抗わずに淡々と生きていれば、それでいい。
そういう人生の生き方を、落語は伝えてくれている。
改めて思う。今の人間は驕り過ぎだ。
落語が誕生したのは室町時代の後期らしいが、人類が文化文明を持ち始めた数千年前から現代にかけて指数関数的にすさまじい進化を遂げてきた。
これこそ人間の本能である「欲」の権化と言わざるを得ない。
資本主義は人間の欲を増長させる装置であるが、そんな資本主義というシステムを生み出したのも、人間の欲ならではだろうと思う。
「欲」のおかげで人類はここまで発展した訳であるが、逆に言えば人類誕生から何万年も変わらない部分もある訳だ。
それが、人間とは所詮小さな存在だということ。
一哺乳類の一種でしかなく、地球全体や宇宙の規模で比較してみれば、小さなアリや巨大な象と人間は所詮大差がない。
我々は所詮小さな存在だということをもっと真摯に受け入れ、生きることに対して謙虚になった方がいい。
落語は改めてそのことに気付かせてくれる。
古典落語は約500篇程度の噺しかないということも知らなかった。
同じ演目を違う落語家が噺することを楽しむというのも、改めて考えると奥深い。
古典落語はまさにクラシック音楽のようだ。
落語家は演奏家であって、元々の噺をどうやってアレンジするのか。
噺の中身を独自に解釈して、表現の腕を磨いて、高座に上がる。
これだけ聞いても落語というものの奥深さが感じられる。
同じ噺であっても、落語家の腕次第でまったく違う印象となるのだから面白い。
落語家は噺をどうやって深掘りして、表現を磨いていくのだろう。
本書では私も知らなかった昭和の名人のエピソードも記載してくれていた。
昭和の大名人、桂文楽氏の話は本当に身体が痺れる。
人生で数えきれないくらい何度も稽古を重ねたはずの噺の登場人物の名前を失念して、舞台上で固まったという話だ。
名人はこの時78歳だったそうだが、舞台上で頭が真っ白になった際に「勉強し直してまいります」と客席に丁寧に詫びを言って、そのまま高座を降りたのだという。
結局名人は、その後二度と高座に戻らずに亡くなった。
老いには勝てないという、そんな単純な話ではない。
名人ですら失念し追い込まれた時こそ、名人ならではの一言を発した。
この最後の一言が、まさに名人たらしめた名言であることが本当に奥深い。
芸を磨き、人間を磨くとはこういうことかと改めて考えさせられてしまう。
人生が悲喜こもごもなのは確かだが、人と言うのは生きていれば様々な出来事があるものだ。
そんな時にどう対処するのか。
迎え撃つのか、受け流すのか。
味のある一言を添えるのか。
改めて日本人であることでよかったと感じてしまう。
こういう繊細な感覚は、外国語では表現できないような気がするのだ。
日本人である以上、もっと日本の文化を知る必要がある。
今度また寄席に行ってみようか。
少しでも落語の理解が深まったと感じることを嬉しく思う。
(2023/10/15日)


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