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0:29から始まるゴッホ

〜とも毎朝思う 僕はゴッホじゃやなんだ
僕はゴッホじゃ嫌なんだ!


中途半端な部分から始まるドレスコーズのゴッホを聴く。というのも故意に頭から再生しないわけではなく、私の聞くゴッホに0:00~0:28は存在しない。


私の長年愛用しているCDコンポはCDだけでなくカセットテープも再生できる。
そしてなんと今では考えられないことだが、ラジオで流れているものをカセットテープにリアルタイムで録音することができるのだ。

このコンポがいつから私の部屋にあるのかはもはや覚えていないが、気付いたときには存在していて、今もまだ実家の私の部屋に置いてある。


ゴッホと出会ったのは中学生の時であった。流れていたラジオをベッドに寝転がりながら聴いていた私は音楽番組で流れていたこの曲に大層驚かされた。たしかSchool of Lockの新曲紹介コーナーだったと思う。この頃の番組では[Campaign](現[Alexandros])やねごと、片平里菜が人気であった。ロックのスペルはl.o.c.k、とーやま校長の声を覚えている方も多いのではないだろうか。

そんなthe 邦ロックの中に突如現れたのだ、ドレスコーズのゴッホは。正直未だにロックでは無いんじゃないかと思っている。JAPANミスターコンテストに阿部寛が出てきた状況を想像して欲しい。いや待てと。お前日本人ちゃうやろと。そんな感覚である。
それと同時に私は、この得体の知れない音楽に心を惹かれた。今で言うならポエトリーラップに分類される曲だと思う。


「これは後で聞けるように録音せねば」とベッドから飛び起き、カセットの中身も確認せずに録音を始めた。そんなわけで、私のゴッホには28秒以前が存在しないのである。


当時14歳の小川少年はこの途中から録音されたゴッホを狂ったように繰り返し聞いた。今でもそうかもしれないが、あの頃のドレスコーズは一部の好き者が聴くマイナー(?)な部類だったと思う。
得体の知れない、しかし物凄いものを見つけてしまったような高揚感、それと同時に自分だけがこの音楽を知っているような優越感があったのだ。



2021年の今、街はストリーミングサービスや楽曲検索サービスで溢れかえっていて、欲しい音楽、知りたい音楽は手に入ってしまう。それと同時に、偶然の産物というものは減ってしまったように感じる。好きな音楽はいつでもすぐに聞けるし、アプリからは好きそうな曲のレコメンドが届く。好きなジャンルは探さなくてもどんどん知れるが、反対に興味がないけれど実は自分に刺さるかもしれない音楽に出会う機会はあまり無い。
それはそれで寂しいような気もする。

0:29から始まるゴッホを聴き、あの時の興奮を思い出しながらそんなことを考える。

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