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【目印を見つけるノート】697. 酷評された詩と、とてもシンプルなこと

大昔に書いた、自分の詩を引っ張ってきました。現在、他のところにも出していますが、もともとのものを書いたのは1994年だったかと思います。もともとのものは同人誌に出ていますが、もうほぼないでしょう。

これ以降、詩はあまり書かなくなりました。

再掲するにあたって、手直しをしました。詩は直すと勢いが弱まるのであまりしていませんが、これにはしました。自分のプロダクトとしてですが、実は少しいりくんだ叙事詩です。

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デナリ

あすサーカスの少年と 聖堂で待ち合わせ
憂鬱が目印 恋とか夢とか生活
六人きょうだいの末っ子で あのころはまだ
なんの芸も やらせてもらえなかった

 まあよい指導者も そうでない独裁者も知らずに
 アジアのテントまで やってきた頃は
 サーカスの興業主 トランプの王妃さまも
 優美な笑みを たたえていたんだ

 ハンガリーでギリシア人に間違えられて
 ポーランドでロシア人に間違えられた
 白い肌 明るい瞳のデナリ
 ユーゴスラヴィアのベッドで雲の夢を見る

 遠い異国人に見えたら 最高なのに
 拘禁され独房に入れられたときも
 西欧のジャーナリスト扱いだった
 この異邦人はどこでも お尋ねものにされるらしい

 連帯の家に宿をとったとき 春は天辺
 いまは何が本当なのか かいもく見当がつかない
 コシューシコが収穫のお祭りで ダンスする
 でも 敵の姿はまだ見えていないんだろう

観客に 冬を耐え抜いた赤ワインがふるまわれる
去年の聖誕祭にも思ったことだけれど
葡萄酒より 血であがなわれるものも
たくさんあるって みんな知っている

サーカス小屋が爆発した
煽られて 大勢の人を乗せた飛行船も
こっぱみじん
空の中に 転覆した

降ってくる残骸を避けながら 見つけたのは
片方だけの 茶色い靴
きゃしゃな回転扉の前で 山上の隠者のように
いつかやってくる答えを じっと待っている

白い肌 明るい瞳のデナリ
サーカスの少年に会えずに 裸足で歩く
国は壊され 街は瓦礫に 山河は用なし
五人のきょうだいも いなくなった

こどもたちが お祭りの色つき卵を
そっと デナリの 汚れた手にのせる
司祭はいう 

ディディモは 
それを
目にしなければ
信じることができない

かわいそう


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この詩には以下のような説明書きを付けています。それも多少修正して引用します。
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この詩はざっくりといえば、どこの国の人かよく分からない旅人が、会いたいと思っていたサーカスの少年に会えなかったというお話になっています。
ポーランド『連帯』の活動からボスニア・ヘルツェゴビナ内戦にいたる東欧の激動が念頭にありました。もとはユーゴスラヴィアという国で起こった複雑な内戦をここでは説明しませんが、ニュースを見て、「どうしてこんな惨いことになってしまったのだろう」としばしば思いました。歴史としてみればベルリンの壁が壊れたことやロシアの民主化が大きく扱われるのでしょう。
 
見過ごされる、
忘れ去られる。
それに栞をはさみたいということで書いたように思います。二十世紀の最終盤を書いたこの詩が詩集のラストにふさわしいと思いました。

もうひとつ、キリスト教のモチーフがよく出てきます。
デナリは聖書にも出てくる通貨です。「小麦が1デナリ……」ということばがあったように思います。それを主人公の名前にしました。
聖堂で始めて、イースターで終えたのもそうです。ディディモについては、『16世紀のオデュッセイア』→『海の巡礼路(東洋編)』→『ディディモはここにいた』の節辺りで説明をしています。よろしければご参照ください。

なお、後半のくだり、茶色い靴までは、私の見た夢(寝て見る方の)です。この映像を文字にしたくて書いた面もあります。

当初の詩にはもっと実在の人の名前が出ていました。そこはコシューシコ以外、外すか変えています。
(※コシューシコは大国によるポーランド分割に抵抗する先頭に立った18世紀の人です)
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説明をもっと書いてもいいのですが、短編小説ぐらいになりますので控えます。そのようなことをしたら、T.S.エリオット先生に叱られる😣💦

もともとの詩は同人の方に酷評されました。どうしても思想的な話に行ってしまうのですね。「こういうことは書いてほしくない」と言われました(回想)。
いや、何でそっちに行くのかなあ。
そうじゃないんだよなあ。
もっとシンプルな話なんだけどなあ、と思いつつ拝聴していました。
反論する気にはなれませんでした。

創作は出したら、受け手のものですから。

私は右でも左でもないのですが、
世代が違うと考え方が相容れない場合もあるのだなあとつくづく思いました。

愛はどっち寄りでしょうか。
私はそちら寄りです。

『16世紀のオデュッセイア』のカトリーヌ・ド・メディシスを書いた章では、オスマン・トルコ(スレイマン1世の頃ですね)のヨーロッパ侵攻に際して教皇クレメンス7世が大使をハンガリーに派遣しています。その大使がかつてのカトリーヌの婚約者イッポーリト・メディチでした。
彼はどちらかといえば晴れ晴れと出発し、もちろん最前線に出ることもありませんでした。ただ彼女にとっては大きな出来事だっただろうと思います。

時代はもっともっと遡れますが、このようなことがずっと繰り返されているのです。
私もこのような例が引ける程度になったわけですが、シンプルな部分はこの詩を書いた頃と変わりません。
やわらかいけど、かたいのね。

サーカスの少年に会いたいなと今でも思っています。

もうすぐ、キリスト教のイースター(Lent、四旬節)期間で、明日がその始まりとなる「灰の水曜日」です。
そして、フランシスコ教皇はツイッターをロシア語で発信されています。

バチカン・ニュースより
教皇のメッセージ

とても、とてもシンプルなことなのです。
今日も、一刻も早い、これ以上犠牲を出さない解決を祈ります。

Marvin Gaye『What's Going On』

『オデュッセイア』の更新は明日です。
さあ、取りかかろう✏️
それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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