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幸せは半径3メートルのルールから

三が日中日、年末年始はゆるっと営業している。年末のお仕事絡みで体調を崩したこともあり、やおら寝た。霊媒あるあるで、お客人次第では正気を抜かれてしまう。お客人の責任だけが取りざたされがちやが、その実今回はサードオピニオンのため、業界全体の問題になる。この世界で看板上げて丸15年、10年も前に西の地で行われていた四方山は、当時東の街で駆け出しやったわたしには知る由もない。それでも、巡ってくるのには、これからわたしたちが向かう未曾有の世界があるからやと思わざるを得ない。

こんな記事を見た。ついに成人の10人に8人が40代になった、と。いや、これはもはや国の存亡に関わる数やと思う。わたしは丙午翌年の生まれ。60年に一度回る丙午、この年の女は男を取って食うから産むな!と言われたらしい。

わたくし、未年ですが?

意味わからん笑 丙午関係ないやろ。まあまあ同級生の大半は丙午、いま振り返ってもいろいろやった。書けないことの方が多いくらいの学生生活、小中の同窓会には生涯行かないやろうし、あの街は好きにはなれない笑 友達はいるけど、ひどい記憶もだいぶある。それでも、専門時代は毎日楽しかったから、やっぱり生まれではなく人柄やと思うわけで。干支のせいにすんなし。

そんな絡みで、同学年は人がいない。みんな生まなかったらしく、翌年と比べて40人学級2クラス分くらい人がいなかった気がする。ざっとみても80人…なかなか凄いね。その世代が人口の大半を占める。昨年の夏、当時の同級生と30数年ぶりであった。人は変わるとは知っていたが、こうまで変わるのかと思い知らされて縁が切れた。昔きちんとご縁の精算をすべき人やったんや、と思えたのは11月に入ってから。おかげさまで現在その人は数少ない「キライな人」ボックスに入っている。

余談だが、キライという概念は大切。キライ、と思えれば考えなくていい。むしろ堂々と無視できる。だってキライなんだもん。

そうかー!そうだよねー!

気づくの、遅ぇーから。

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半径3メートルのクオリティが働きがいを左右する。この一文には、ひたすらうなづいた。この夏の経験があり、キライという概念が明確に備わったわたしには、まさにとしか思えない話だった。

苦手→好きじゃない→キライ。キライの三代進化論である。「あの人苦手〜」から、「あの人好きじゃないわ〜」に変わって「あの人キライ」に進化する。反対に誰にどう言われても「なんかキライになれない」という人もいる。この感情を貫くか貫かないか、ただそれだけが半径3メートルを左右するのだと、わたしは思う。

もののふ気質ゆえ、キライになってしまうと、自分の世界から抹殺する。別にいなくても困らない、むしろ死んでもそいつの世話にはならないように生きようとする。それが武士ってもんだろう。

ま、武士じゃないけどね、あたしゃ。

でも、いいんです、もののふ方式で。都に来て、友達なるものができた。向こうさんはどうか知らんが、わたしが友達や、と思っている人。年末に数えたら片手に余った笑笑 友達が少ない理由は、「相手には嫌われてもいいけど、自分は好きと思える人」「好きじゃないとこがあっても、一緒にいたい人」の二点がクリアできる人。そんなん、何人も居らんやろ笑笑 でもこのルールがある限り、わたしの半径3メートルの平和は約束されたも同然である。

2020年の幕は開いた。貴方は、半径3メートルを保つルールを見つけましたか?





日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。