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シン・ウルトラマンのここがヤベェ良かった3点(そして何故かアヴァロン・ル・フェの話)

※この記事は、この世に生を受けた一介のVtuberが好きなことを好きなように語ったエッセイっぽいものです。
※今回は表題の通り『シン・ウルトラマン』全編のネタバレ加え、何故か『Fate/Grand Order』の二部6章のネタバレもちょっと含まれるため、未見の人は十分に注意されたし。6.5章も来るし早く6章やろう! めっちゃ良いから!

あまりにも久しぶり過ぎるnote更新。配信が想像以上に軌道に乗っちゃって全然書く時間が確保できず、もし楽しみにしていた人が少しでもいらっしゃったなら申し訳ない限り。

そして更に申し訳ないことに、これまではゲーム音楽だとか映画音楽だとか音楽をテーマにした記事を書いていたが、今回は昨日見た『シン・ウルトラマン』がとても良かったため、その良さを3つのポイントに絞ってオタク語りするだけという方向転換っぷりである。まぁでも最初に「好きなことを好きなように語ったエッセイっぽいもの」って書いてるからいいか。開き直っちゃお~。

なお、筆者は初代ウルトラマンやウルトラシリーズのことは断片的にしか追えていないため、論に些か粗が目立つことを前置いておく。
あと、筆者としてはとても楽しめたが、同時に「これは賛否両論になるだろうなぁ」というのも十分に理解していることも添えておく。


1. 山本耕史

兎角この映画を見終えて強く印象に残ったのは山本さんの演技だった。
とにかくやばい、何がやばいかって得体の知れなさと実在感が非常に高いレベルで同居していること。

本作の構成って、敢えて包み隠さず言うならば前半は少し作り物感が強めだと感じるところが多い。
禍特対の演技は割と説明口調(これ恐らくシン・ゴジラがあまりにもテンポ良すぎてついていけない人とかいたのかなぁと邪推)だし、ウルトラマンや禍威獣も(よくできてはいるのは承知の上で)まぁCGだなと分かる感じで、ザラブ星人もツダケンさんが声優として演技力が高いことも相まって、そこまではSFで空想科学という色が強い(同時に、そこがウルトラマンの在り方の一つなのだとも思うが)。

ただ、山本さん扮するメフィラス星人はやべぇのだ。言ってることはごもっともだし理にも叶っているはずなのに、無償の善意というものがかくも不気味に映るものかと圧倒されてしまう。お金を貰うことで失うものもある、というのは筆者の尊敬する月ノ美兎委員長の言葉だが、その言葉の片鱗を味わったようにも思う。

閑話休題。言葉巧みでパッと見の表情も豊か、なのに言いようのない不安や不信を抱かせる。"ウルトラマンより前に地球に来ていた"というのがスッと腑に落ちてしまう謎の自然さである。ザラブ星人は居ないだろうが、メフィラス星人は自分の隣に居るかもしれない、薄ら寒い現実味がそこにあった。
そんな名演あるいは怪演があるからこそ、無表情で言葉少ないながらも、ただ人類を学び人類を愛す神永(ウルトラマン)との対比が映えるというもの。マジで山本耕史やばい。彼の登場から物語の解像度がグッと引き上がったように思う。俺の中での個人的MVPは間違いなくこの人。

そしてそうやって捉えると、それまでの怪獣発生→ウルトラマン→ザラブ星人というストーリーからのメフィラスの登場という物語構造が非常に意義深いものなのだろう。やばいもう一回見たくなってきた。やばいばっか言いすぎて語彙力がやばい。やばいで無限ループ形成できる。これがSDGsですか

2. ラスボス

初代ウルトラマンをベースにしているならラスボスはコイツだろうなというのは薄々予想はできたが、その発生の理由がまさかそこかぁ〜〜〜〜というのは筆者の想定が甘かったと言わざるを得ない。

で、そんな感情をすべてなぎ倒していくのがあのデカさ。マジクソデカすぎて最初「は?」ってなったよね。何あれ。普通ちょっと大きめな宇宙ステーションくらいを想像するじゃん。ああいうのは兵器じゃなくて宇宙要塞って言うんだぞ。分かってんのかゾーフィ。

ここで話は少し逸れるが、筆者は勿論シン・ゴジラも大好きなのだが、劇中の内閣総辞職ビームもといゴジラが発した熱線で東京の街並みが焼き払われたのを見て「あ、これは無理だわ人類勝てんわ」と恐怖したことを今でも鮮明に覚えている。

ゼットンの見せた絶望はそれに近しいものがあった。ウルトラマンがダメ元で突撃する時、あまりのサイズ差にウルトラマンが気の毒にすら感じた。初代ウルトラマンはまだ同じサイズ感だったからいいよ。でもこっちはアリと象じゃん。あんなのに突撃できるとかウルトラマンは人の心とか無いんか? 無いか、そらそうだわ人の心を知るために融合したんだもんな、ごめん俺が悪かった。

でも一方で筆者も一匹の雄オオカミなので、滅亡へのカウントダウンとしてゼットンのボディが組み上がっていく様にはカッケェ~~~~~~~~!!!!!!となったし、最終攻撃に際して胸元の結晶体が花のように開く挙動とか最早ある種の美しさすら感じる程。ロボットアニメでピーキーなワンオフ機を設計開発する、人類よりロボットが好きなイカれた技術者の気持ちになってしまった。オタクくんこういうの大好きでしょ。俺も好き。


3. 米津玄師

映像作品等の主題歌が作品の内容と密接に絡んでるの大好き高校の卒業生として、筆者は以前よりBUMP OF CHICKENに全幅の信頼を寄せているわけだが、米津玄師という男もまた恐ろしく"強い"存在であることを本作のエンドロールでまざまざと見せつけられた。

主演の斎藤工さんが(いい意味で)非常に無機質で淡々とした演技をするため、彼の顔から感情を読み取るのはやや難しい。そのカタルシスが主題歌『M八七』で鮮やかに爆発する。
力を持っても尚、抹殺でも支配でも隷属でもなく人類自身にその未来を委ねた光の巨人からのメッセージが、黒背景に白文字だけのシンプルなエンドロールを介して真っ直ぐに届いてくる。制作陣は米津の見せ方を分かっている。これは分かっているやつ。俺には分かるんだ。

そして、敢えて主語や指示語を明確化しないことで、この『M八七』は様々な解釈の余地を残す(筆者の個人的な見解です)。
ウルトラマンから人類へのメッセージというだけでなく、人類の矮小さに絶望した滝に希望の手を差し伸べた船縁のように、弱き群れたる人類の隣人愛、あるいは自分自身の中にある小さな勇気を鼓舞する意図をも内包しているのかもしれない(筆者の個人的略)。

劇中でウルトラマンは「私は神ではなく、一つの生命だ」と語った。これをやや飛躍して解釈するならば、人類もその力を束ねることで人を超えた人、つまりはウルトラマンになれるのだろう。だって人は誰でも光になれるのだから──(筆者略)。


いい感じの話をしたところで話題の方向性を450度くらい急旋回する上にいきなり別作品の話を出して大変恐縮だが、この『M八七』の歌詞を見て筆者はスマホゲーム『Fate/Grand Order』の第二部6章『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』のシナリオを連想してしまった。
いやだって最初からして『遥か空の星がひどく輝いて見えたから僕は震えながらその光を追いかけた』なんだもの。続く歌詞にも色んなキーワードが含まれているんだもの。アルトリア・キャスターにとっての遥か彼方の星が、割れた鏡の中のいつかの自分が、長く短い旅が、いまに枯れる花が、削れていく心根が、そして物語の始まりの微かな寂しさが、この歌を介してフラッシュバックしてしまう。とりあえずYouTubeに公式のMVがアップされてるから一回聴いて歌詞を噛み締めてみてください。

どうしようもない理不尽や救いようのない悪があっても、それでもそこには美しい世界があって、愛すべき存在がいた。もちろんシン・ウルトラマンとFGOでは背景も話の筋もテーマも着地点も異なる点が多々あるので、双方のファンから「一緒にしてんじゃねーぞボケが!」と袋叩きにされるかもしれない。しれないのだが、米津玄師が紡いだ圧倒的な人間讃歌の解釈を切り口にこうして勝手な妄想を繰り広げるのはQoL向上が捗る活動なので、どうか寛容なご配慮をお願いしたい。伝家の宝刀:筆者の個人的な見解です



そんなわけで、今筆者は庵野秀明と米津玄師と奈須きのこに情緒をぐちゃぐちゃにかき乱されているため、上映期間中にもう一度シン・ウルトラマンを観に行こうと思う。それくらい刺さる部分の非常に多い作品だった。みんなも時間とお金があったらぜひリピートしようね。


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