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毒親のもとへ帰る

実家に戻って2日で神経性胃炎になった

猫2匹を連れて
14年ぶりに実家に戻った

ーーー

子どもの頃から母との相性が悪く
やることなすことすべて
反対された
信用されてなくて
心配されて
完璧を求められて
できないと呆れられた
話をしようとしても途中で遮られ
自分の正しさを
突きつけてきた

死にたいとは思ったことはないけど
いなくなってしまいたいと
何度も思った
こんな子どもでごめん
生まれてきてごめん
いない方が母は幸せだよね
そんな気持ちをずっと持ってた

不良になれなかったのは
早いうちから
無感情になってしまったからだと思う
何も感じなくなってしまった
というか感じないようにしてた

動植物に対しての感情以外は
何も感じないようにしてた

もちろん恋愛の仕方もわからず
成人を迎えても
社会人になっても
お付き合いをすることはなかった

子どもは良くも悪くも純粋だ
わたしも母の言うことが正しいと思ってた
だから人はみんなわたしを否定してくるだろうと思った
味方なんていない
誰も信じられない
否定してくる母が正しい

苦しかった
どうしていいのか
ほんとうにわからなかった

中1の時にいじめられてたことも
母に言えなかった
わたしが怒られると思った
母はわたしのすべてを否定するから
きっと「あなたが悪い」っていうだろうと思った
何も解決策も出してくれず
ただ怒られるだけだと

そんななか
生まれてはじめて
譲れないものができた

「踊ること」

カラダの外側に感情を出せたとき
感動して
心が本当に震えた
言葉で出せなかった感情を踊りに乗せた
はじめての「表現」だった

わたしにはこれが必要だ
これがないと死んでしまう

これだけは
守り続ける
ぜったいに

当時中学生
もちろんスムーズに踊りをはじめることはできなかったけど
(その時の話はまたいつか)
27年経った今も守り続けて
わたしの人生の一部になっている

これだけ相性が悪いとわかってるのに
なんで実家に帰ったの?
ってなりますよね

簡単に言うと
「相性が悪いことを認めたから」

認められなくて
もがいていたから
苦しかった

愛してほしい
って
わがままなことを思ってた
ほしいほしいと思ううちは
自分自身を愛せてないってことを
大人になるにつれて
わかってきた

だからまずは自分を愛する練習を始めた
(これまた大変だったのでいつか書きます)
3年くらいかかってやっと今
愛してほしいだなんて
思わなくなった

そしたら母さんの見え方が変わった
そして母も歳をとった

転倒して膝のお皿を骨折
3週間の入院

わたし自身の働き方の見直しのために
勉強をしたいと思ってたタイミングも重なり

1年の期間限定で
実家に帰ることにしたのです

引っ越して2日で神経性胃炎w
毒親の毒にまだ慣れてないだけで

昔よりも
いい関係(わたしが気にしない)が
築けてる気がしています

きっとこれからまだまだ
自分の中で解決してない問題が
浮上してくると思います

そんな時は
ここに書きながら
気持ちの整理をしていきたいと思います

どうぞ
お付き合いください

Gat

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