ようやくVoicyをつくりはじめる話 【声の履歴書 Vol.4】
こんにちは。Voicy代表の緒方憲太郎です。
Voicyがこれまで歩んできた道のりについて書くシリーズ。第4回目の今回は、いろいろ寄り道してきましたがようやくVoicyのアイデアに着手するに至った話です。
もともと人の声というものはとても魅力的なのにあまり活かされていないと感じていて、米国のとある音声サービスが閉じたことをきっかけに真剣に音声サービスの行方を考えるようになりました。
やっとVoicyの話をたくさん書けるようになってきて嬉しいです。まだ続きますので、よかったらnoteをフォローしてみてください。
Voicyのアイデアの原型になったもの
ビジネスコンテストで100万円もらったけどそのサービスは諦めて、ようやく窪田とVoicyをやろうとなったわけですが、そもそもなぜVoicyの原型のアイデアにたどり着いたか。
もともと音声は絶対面白いし、可能性はあると思っていました。当時アメリカには「UMANO」というサービスがありました。これはいろいろなメディアの記事を、ナレーターの卵の子がお金をもらって読むというサービスでした。
僕はけっこう好きだったんですが、倒産したんですよね。閉鎖しちゃいました。「可能性はあったのに、やり方が違ったよなぁ」という印象でした。読み手がお金をもらって読むだけだと面白くなくなっちゃうし、クリエイティブが生まれにくくなる。そこに問題があったんじゃないかと。
ちょうどSiriとか音声アシスタントが出はじめてきていて、もうそろそろ音声の時代が来そうだと思って、真剣に音声のサービスがアリかナシか考えてみようっていうところから、Voicyはスタートしました。
人の声ほど魅力的なのに活かされていないものはない
そもそも人の声というものはとても魅力的なのにあまり活かされていない感じはしていました。五感の1つとしてこんなにカラフルに出るし、毎日誰もが使っているのに、ITやWebの世界では全然上手く使えていないなと。
イケボとか声フェチっていう言葉もあるのになんでだろう、じゃあその声というものの魅力を最大化するアプリを作れないか、と思って考えたのがVoicyです。
最初はUMANOの影響もあって、人がしゃべるためにいろいろなニュースとかのネタも用意するみたいなサービスを想定していました。当時は今みたいなビジネスモデルとかは全然考えられていなかったですね。
で、作ってみたら、予想通りめちゃくちゃ苦労しました。
「Voicyの中でニュース記事を使わせてください」って大手メディアを回るんですが、当たり前ですけど一切相手にされないわけです。新聞社とかだと完全に「なんだこいつ?」みたいな感じでしたよね。当たり前です。
そんな中でスポニチさんだけが「いいですよ」って言ってくれたんです。すごくないですか…? まだ会社ですらなかったのに、サービスもできてなかったのに、よくOK出してくれたなと思います。本当にもうそこは今でも感謝しかないですよね。
それでアプリを作り始めたんですけど、窪田も音声関連のアプリなんて作ったことないし、それなのになぜか発信アプリと受信アプリを別にして2倍工数かかったり、いろいろ大変でした。
(当時のホワイトボードの写真が残ってました)
2015年秋に作り始めたのに完成が遠い…。2016年2月、KDDIの「KDDI ∞ Labo」というインキュベーション施設に入るために、ようやくVoicyとして会社を設立。3月に入ったので9月末には卒業しないといけないとなって火がつきました。
開発はずっと遅れていましたが、「卒業のデモDayでリリースしなかったらシバく」って偉い人から言われて、無理やりリリースしたのが9月23日。記念すべきVoicyのリリース日になりました。
(リリースの瞬間に、2人で乾杯)
窪田がずっと1人で開発を進めてくれていたわけですが、じゃあ僕は何をやっていたかというと、実はせっせとアナウンサー学校に通っていました!
――その話はまた次回(マガジンにまとめていくのでよかったらフォローお願いします)。
声の編集後記
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