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常磐線はつづくよ、どこまでも。だけど..

少し、気持ち悪いなと思った。

“社会正義”の旗印を掲げ、キレイで明るい部分ばかりが発信されているように思えた。それは、風評被害を払拭する上ですごく意味があるのはわかる。

それでも、胸の中には、モヤモヤとした気持ちがくすぶっていた。

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3月14日の常磐線開通に合わせ、福島の浜通りへ再訪した。

午前5時23分のJR常磐線原ノ町行き。いわき駅を出発し、復興を象徴する始発だった。闇の中から、光を照らしながら、ゆっくりと電車はやってきた。


東日本大震災によって不通となっていた区間が開通することは、福島にとって間違いなく記念すべき、そして大きな一歩だった。

それは、復興を希求する地域の人々にとっては、未来への希望をもたらす明るいニュースだったのだろう。

新築された双葉駅に降り立つと、乗り入れた電車を、じっと感慨深く見つめる人や、「おかえり常磐線」というポスターを笑顔で掲げる人がいた。


メディアの切り取り方について

駅に歓迎する住民や乗客の他に、報道関係者が多くいた。電車から降りて来る乗客と、それを歓迎する住民の姿にカメラを向け、しきりにシャッターをきっていた。

電車が駅を去ると、私の横にいた記者が話し始めた。

「次の構図、どうしよっか。」

「ここらへんでカメラ構えようか。」

「どれだけ乗客がいるかだよね。歓迎する側には、(事前に)しこんどいて、前屈みで歓迎ムードでお願いしますとかは言えるから。



あーね。そういうことしちゃうんだー、と思った。


カメラを趣味とする者として、気持ちはすごく分かる。いい写真を撮るには、早い話、被写体に演じてもらうのが手っ取り早い。

ましてや彼らはジャーナリストである以前に会社員であるから、「いい写真を撮る」ことが仕事であり、義務である。私も入社したら、少なからず同じようなことはするかもしれない。


それでも、明るい部分を上辺だけをかき集めて、きれいに形づくって、取り繕っている感じが、ちょっと嫌だなあと思った。

現場を知らない学生が言えたことじゃないけど、モヤモヤした。せめて、「嫌だ」という感性は、メディアに就職しても忘れないようにしたいと思った。

双葉駅のまわりの町並みについて

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時間は、朝の7時すぎ。真新しい駅舎のまわりは、整然としていた。

人の気配は、なかった。


1分も歩くと、「被災地」であることを、ありありと感じさせられた。

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車はまばらに通っていたが、人通りはほとんどなかった。朝が早かったため、家屋の取り壊し工事もしていなかった。


避難指示が解除されたからといって、人が戻って来るわけではない。時間が経ったからといって、震災の爪痕が修復されていくわけではない。

9年という時間は、あまりにも確固たる空白としてそこにあり、動かしがたい。それでいて時間は非情で冷静で、何らとしてドラマティックな奇跡をもたらすことはない。


ここに、将来人がまた済むようになるのか。新しい家が建ち、スーパーが建ち、学校に子供たちが通うようになるのか。

真新しい駅だけが、明るい日常だった。駅だけが、私には不自然に思えた。


それならば、なぜ避難指示を解除したのか。やはり世界中が注目する聖火リレーを前に、被災地の復興をアピールしたかっただけなのではないか。

福島への風評被害がなくなることは、人々が福島に戻っていくことに繋がる。結果的に、被災地を彩り、飾り、繕うことは、被災地の本当の再生の足掛かりになるのかもしれない。

それでも、9年前から時が止まったままの町並みを見て、なにかが違うのではないかと思わざるをえなかった。

自分のなかで、答えはでていない

“社会正義”の旗印を掲げ、キレイで明るい部分ばかりが発信されているように思えた。それは、風評被害を払拭する上ですごく意味があるのはわかる。

文章は、尖ってこそ、人の心に刺さる。誰に、何を、何のために伝えたいのかを明確にしてこそ、人の心を動かすことができる。

それは、すなわち現実を切り取り、多くを伝えないということだ。


何を伝えるべきで、何を伝えないべきか。メディアは、記者はどこまで編集する権限があるのか。

いまだに、胸の中には、モヤモヤとした気持ちがくすぶっている。きっとそれは、一人一人がそれぞれの現場で悩み、驕らず、責任をもって答えを出すべき問題だ。

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