「知らないこと」が視野を狭くする
大学生のとき、「ガイダンスを聞いても興味を掻き立てられない授業があること」がとにかく悔しかった。
自分の教養のなさを突き付けられるようだったから。
視野の狭さを実感させられるようだったから。
世界を知ってみたかった。そのために仕組みを知りたかった。で、経済学の授業を聞きに行った。
何が何だかわからなかった。そりゃもーチンプンカンプン。
なぜ数式が出てくるの?この教授はいったい何を計算し、求めようとしているの??
なーんにも分からなかった。
はたまた、身近でない地域の人たちの視点から物事を捉えてみたかった。特定地域に特化すればなにかが変わるかもと、フランス語圏の文化に関する授業を聞きに行った。
カタカナばっかりだった。当たり前か。
でも、聞いたことがない人の聞いたことがないストーリーの聞いたことがない作品には、90分間/週の時間を割きたいと思えるほど震えるものはなかった。
それでも多方面に手を伸ばし、ありとあらゆる興味深い授業を取り、レポートを書き、教授に質問し、テストを受けた。友人が遊び、バイトしているそのとき、わたしは固い椅子に座って酷い肩こりに眉をひそめながら単調な声色に耳を傾けていた。結局、履修した授業すべての単位を取った。
受けたい授業とそうでない授業の違いはなんだろう、と帰り道に考えたりした。
ストライクゾーンをかすめるものは受けたくなる。そうじゃないものはおもしろさを見出せない。うきうきしない。
ストライクゾーンをかすめるということは、少なからず自らの知識や経験をかすめているということ。
かすめないということは、自らの中に関連する引き出しがないということ。または「関心」に昇華させられるほどの知識がないということ。
じゃあ、興味をもてないのって自分が浅いからじゃん!!
もっとたくさんのことを知っていれば、さらに多くの点を打ち、それを線としてつなげられるのに。わたしはそうやって点と点が結ばれていく瞬間が好きなのに・・・。
そんな経験が一種のトラウマとなってしまったというワケ^_^
なので、わたしは人から話を聞くのが好き。年々好きが増してる。
だって、とにかく学べるから。
「知人」は「自己」との関連項目(=自分をかすめている)なので、彼らの経験は自らの知識として効率よく吸収することができる。
周囲曰く「オメーは浅い会話を好まず、ナゼドウシテドウヤッテ?を語りたがるな!」。これはきっと上述に所以があるのでしょう、、、ぶるり。
知らなければ興味を持てない。興味を持てなければ目を向けない。
目を向けなければ課題に気付かない。課題に気付かなければ現状を変えられない。
現状を変えられなければきっと「刺激」がなくなっていく。
(おっとここで前記事の伏線回収!!)
わたしの生きがいのひとつである点打ち作業のため、おとももちの皆さんはあれもこれもわたしに授けていただくようご所望申し上げます!押忍!我武者羅~!!!!
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