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復職日記52

コロナかと大騒ぎしたのち、ただのお腹の風邪だったので、お薬を飲んで養生している。

いつものお布団の上で、今日は目を開けている。
目を瞑って瞑って、具合の悪い動物のようにじっ、としている期間は、終わったようだ。


窓の外が明るい。
鳥の声が聞こえる。


こういうことに気がつけるというのは、心の中がしずかな証拠だ。
わたしの中の小さなわたしがさめざめと泣く時、怒る時、暴れる時、わたしの耳は、外の音を聞いていない。


シフト上の休日と合わせて、今回の風邪で、まるまる1週間休んだことになる。
罪悪感がないわけではない。
でもなんか、開き直っている。
申し訳ない、でもいまここで申し訳ない、と思っていても仕方ない、しっかり治して、日曜日から頑張ります、という気持ち。


同居人氏1は、在宅勤務で朝からずっとパソコンをぱちぱち。ものすごいスピードでタイピングしている。そしてその合間に株の情報をちらりちらり。マルチタスクですごいなあと思う。



※※※


18で家を出た日のことを、今朝、まどろんでいる時に、唐突に思い出した。


せっかく入った大学を、辛すぎて辛すぎて半年で勝手に休学届を出して、休みの間はアルバイトをして、退学することも勝手に決めて、家を出ていくことも勝手に決めて、奨学金の手続きとかも自分ひとりで勝手にやって、家探しを始めて、契約をして、引越し荷物を自力で全部運んで、その最中ずっと、お母さんは、なにひとつ手出ししなかった。口出しもしなかった。


大学退学後、どうしても通いたい専門学校があって、それは写真の専門学校で、当時のわたしは何かになりたくて何にもなれない、その辺によくいるただの18歳で、なんだかわかんないけど写真ならできそうな気がする、という直感だけは信じて、その専門学校に入学すると同時に家を出たのだった。


当時はまだ、フィルムカメラからデジタルカメラへの過渡期で、入学者は全員、「暗室」を作れるような道具一式、「現像」ができるような道具一式、を、買わなければならなかった。


お部屋を暗室にしなければならないから、日当たりは悪い方がいい。
現像するときに水を出しっぱなしにするから、2階より1階のほうがいい。

そんな、ふつうの部屋探しとは真逆の条件でお部屋を探していたわたしを、不動産屋さんは訝しげに見てた。


あのときの原動力は、なんだったんだろう。
とにかく、お母さんから離れなければならない、という一心だった。
このままここにいたら、わたしは壊れてしまう。いまよりもっと壊れてしまう。
そう思って、何件も不動産屋をはしごして、部屋を見つけて契約して、引越しして、全部全部、ひとりでやった。


家を出ていく日も、お母さんはいつも通りだった気がする。


じゃあね、と言って家を出て、自分の新しい部屋で夜を迎えた時、わたしは、さめざめと泣いた。


日当たりの悪い、ワンルームの真ん中に布団を敷いて、そこで丸まって、さめざめと、泣いた。


口からは、


お母さん、お母さん、


と漏れ出ていた。


18になっても、お母さんと離れるのがこんなに寂しいなんて、寂しいのに近くにいると苦しいなんて、わたしってほんと、バカだなあと思って、泣いた。



あの日のことは、なぜだか強烈に覚えている。
お母さんが恋しい、というのは、今でもたまに顔を出すけれど、少しずつ手放していっている気がする。


お母さんがあの時、わたしが出ていく準備を粛々と進めてゆくときに、何も言わなかったのは、何も手を出さなかったのは、戸惑いもあったのかな、と、今日、ふと思った。


今日の今日まで、関心がないから勝手にしろ、って思われていたと思い込んでいたけれど、もしかしたら、何万分の一の確率ではあるけれど、離れてゆこうとしているわたしを見て、お母さんもすこしだけ、さみしかったのかな、と、今日ふと思った。



さみしかったから、口をつぐんでいたのかな。
戸惑っていたから、何も言わなかったのかな。
だから、じゃあね、って、なんでもないふりをして、わたしが出てゆくのを止めなかったのかな。


そんな風に思ったら、すこし、わたしの中の小さなわたしが、救われた気がした。


もっともっと歳を取ったら、聞いてみたい。
あの時どう思ってたの?って聞いてみたい。
お母さんは、いつものとおり、飄々と、え〜別に〜、とか言うかもしれない。
でもいつか、聞いてみたい。


わたしが出ていく日、お母さんは、何を思っていたの?

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