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かぞくのこと3(復職日記42)


前回、こんな記事を書いた。



これを書いたら、たくさんの方々がお知恵を貸してくださったり、あたたかい言葉をくださった。
ありがたいことこのうえなく、こころが軽くなるのがわかった。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。



お父さんと、話をした。
今日はそのことを書いておこうと思う。


結論から言うと、お父さんは、もう昔の、頼りにならないお父さんでは、なかった。

わたしが中学生から35歳になったように、お父さんだってその分年月を重ねていて、その分、全然わたしの知らないところで、お父さんはお父さんとして、「大人」として、時間を重ねていたようだった。


おばあちゃんのこと、お母さんに任せっきりにするつもりなんて、微塵もなかった。


ひとつひとつ、やるべきことを確認していて、今はまず、水曜日にわかるおばあちゃんの検査結果を愛知の病院まで聞きに行って、そこで、お医者さまに、今後のことを色々相談するつもりだ、と言っていた。


わたしが伝えた知識(みなさんから頂いた知恵)も、すごくありがたい、心強い、と言ってくれた。


わたしは、お父さんは、人の話に耳を貸さない人かと思っていた。
人の話、というか、こどものわたしの話には耳を貸さない人かと、思っていた。
けれど、そうじゃなかった。
お父さんは、わたしの話を聞いた上で、今こう考えているよ、と、伝えてくれた。


しかもそれは、お父さんひとりで考えたことではなく、「お母さんとお父さんのあいだではね、こういう方向にしていけたらいいと思うんだ」と、言っていた。


おばあちゃんが今入院している病院は、おばあちゃん自身が通い慣れているし、先生もおばあちゃんのことをよくわかっている。
おばあちゃん自体も、住み慣れた地域である。
そしてなにより、おばあちゃんが、「ホームに入所すること」を希望している。
愛知県から千葉県まで連れてくるときの、おばあちゃんの体力の負担を考えても、おばあちゃんの気持ちを考えても、やはりおばあちゃんの地元である愛知県内で、なんとか調整できないものかと、考えているとのことだった。


具体的には、検査の結果、透析が不要で、入院期間が2週間で済むとなっても、そこで無理に愛知県の病院から千葉県の家に連れてくるのではなくて、お金が余分にかかってもいいから、同じ病院の回復期病棟への転科など、とにかくそこで、こちらの準備が整うまで時間をもらえないか、ということを相談するつもりだ、お母さんとそういう方向で考えている、と言っていた。


もうお父さんは、わたしの知っているお父さんじゃなかった。
わたしが気づいてなかっただけで、お母さんも、わたしの知っているお母さんじゃなかった。
ふたりはちゃんと「夫婦」だったんだと、はじめて、心の底から、腑に落ちた。
そしてわたしは、あくまでふたりの「こども」で居ていいんだ、「孫」として、おばあちゃんに関わっていけばいいんだと、すごくすごく、気持ちが軽くなった。


ああ、お父さんのこと、頼っていいんだ。
それをずっと、待ってた。
このタイミングだったんだ。
このお父さんなら、お母さんだって、なんだって話せる。
もし2人がうまくいかないことがあれば、わたしが間に入ればいい。
とにかくおばあちゃんのことは、お父さんと、お母さんと、わたし、大人3人で考えることができるんだ。
そしてそこには、これから、ケアマネージャーなどの専門職の方々がきっと関わってくださる。


なんだ。
きっと、大丈夫だ。


そう思えたら、すごくすごく心が楽になった。


きっと大丈夫、そう信じることができないままでいたこの2週間、息ができないような気持ちと、へこたれてなんかいられないという気持ちと、両方あった。心細くなっては、みなさんのくださった知恵やあたたかな言葉を思い出して、大丈夫、大丈夫、と言い聞かせてた。

でも、わたし、もう、「お父さんの代わり」、しなくてよくなったみたいです。

「お父さんの代わり」じゃなくて、わたしはわたしとして、お父さん、お母さんと3人で、力を合わせて、おばあちゃんのこれからのこと、おばあちゃんのよりよい生活のことを、考えればいいみたいです。



よかった。
わたしは、わたしで居ていい。
ずっと待ってた。
お父さん、ずっと待ってたよ。
家族に向き合ってくれて、ありがとう。
一緒にがんばろう。
みんなで、一緒に、がんばろうね。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい